2016/12/15

臼杵磨崖仏  

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クリックすると元のサイズで表示します10月の帰省の時、実家を発って延岡駅から宮崎に向かうところ、日豊本線上りに乗って臼杵観光をした。
その時撮った写真は起動しなくなったPCに取り込んだきりだと思っていたら、外付けHDDにバックアップしているのを見つけてホッとした。
せっかくなので、画像だけでもアップしておこう。

丘陵の岩肌に彫られた石仏群は4箇所あり、どれもが覆屋で保護されていた。
平安時代後期から鎌倉時代にかけての作だそうで、1000年以上も風雨に晒されて損傷がひどく、修復保存工事でこういう形になったのは止むを得ない処置だが、自然のまま周囲の木立の中に浮かぶ磨崖仏はさぞダイナミックな景観だったろう。。
昭和4年、俳人種田山頭火は「秋風に送られて、時雨に迎えられて(友人に宛てた手紙の文面)」ここを訪れている。

しぐるるや石を刻んで仏となす

石を刻んで仏となす、まさにそれを実感した。
そしてうろ覚えの詩が脳裏を掠めた。
高村光太郎が興福寺にある十大弟子について詩作している。
「見知らぬ奈良朝の彫刻師よ、いくらおん身がそしらぬ顔をしようとも、私はちゃんと見てしまったよ。…………どうして千年の夢を手の平にのせたかを。」

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        山頭火の句碑・麓の満月寺・境内にあった笑顔の石仏

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