2014/5/23

女五人イギリスの旅  1 成田 → ドーハ  

クリックすると元のサイズで表示します5月12日〜19日、イギリスに行ってきた。
2009年秋、オーストラリアのケアンズに旅行した時にお世話になった高校時代の同級生Bさんのご主人はイギリス人で、昨秋からご夫婦で長期休暇をとって故郷のリバプールに帰っている。
「イギリスにいる間にみんなで来ない?」と誘われた。
そこで即アクションを起こすのが旅仲間のZさんである。
ネットで検索し、ドーハでトランジットするイギリス往復9万円弱(カタール航空)のチケットを見つけ出した。
5月といえば旅行のオンシーズン、なのにこの価格である!
ケアンズに同行したKさん・Tさん姉妹もOK、そして前回仕事の都合で行けなかったMさん(Bさん帰国時の木曽路旅には参加)もOK。
国内での手続き諸々はZさんにお任せし、イギリスでのホテル手配や旅程プランニングはBさんにお任せし、心強い限りである。
そしてBさんからは「gang of five」の名誉あるグループ名も頂戴し^▽^、かくして女五人イギリス旅行はあっけなく実現の運びとなった。

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
出発は12日22時30分で、成田空港集合は余裕を持って19時30分にした。
折しもその日はWカップ日本代表発表の日で、成田エクスプレスに乗り換える新宿駅で号外を配っていた。
これから向かうトランジットのドーハは、どこにあるのか知らない人も「…の悲劇」のフレーズを付けて誰もがその地名を知っている。
ゴン中山が頽れ、ラモスがへたり込んだあのシーンはあれっきり。
昨夜のなでしこジャパンはまさにあの逆の立場になり勝利したではないか。ガンバレ日本!
……話題が逸れてしまったサッカー

クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
午後7時に待ち合わせ場所のカウンターに行くと、すでに4人は来ていて両替も済ませていた。
急ぎ両替をした。当日のレートは£1=¥181.22だった。
Zさんが全員分をネット予約してくれていたのでeチケットをプリント、さらに36時間前にチェックイン手続き・座席指定もしてくれてそのプリントもあり、手続きは簡単だった。感謝の一語に尽きる。
重いスーツケースを預けて身軽になり、夕食はしばらく食べられない和食にした。
クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します

ボーディングタイムの21時30分に96番ゲートに行き、予定通り22時30分に離陸。
さあ、まずはドーハに向けて11時間半。長いようだが映画のラインナップは充実していたし、就寝時間帯なので苦にはならなかった。
離陸直後に夕食が出た。空港でお蕎麦を食べていたが、軽かったのでしっかりいただいた⌒μ⌒
着陸直前には朝食も出た。ドーハとの時差は6時間で窓は深夜の闇だが、我々の体内時計はたっぷり寝た後の朝である。

午前4時(日本時刻午前10時)、無事ドーハ空港に到着。
タラップに出ると蒸し暑い空気に包まれた。気温31℃ということだった。
乗り換えの待ち時間3時間半。長いと思っていたが、連れがいるとあっという間に過ぎる。
ノートパソコンを持参したZさん・Tさんは、待合所の椅子をデスクにして易々と起ち上げる。
明け方でもお店は開いていた。
カタールの通貨は何だろう?もちろん両替などしていない(帰途、残ったイギリスポンドで買い物ができた)。
Zさんが「カードが使えるか試してみる。」と言って店に行った。
好奇心旺盛で、且つ行動を起こすのには本当に感服する。
「カードでコーラを買ってきたよ。」と言いながら帰ってきた。
ボトルにはアラビア文字でコカコーラとあった(たぶん)。

午前7時30分ドーハ出発。またもや朝食が出たが、我々にとっては昼食の気分なのでもちろんいただく。
チキンペーストっぽいものが春巻き状に包まれたホットサンドと甘いケーキだった。
さあ、5時間半後はいよいよイギリスだ!
                      To be Continued
4

2012/5/20

G.W. 熊本  

計画では熊本市内観光一日半のつもりだったが、前日鹿児島で過ごしたので一日になった。
いや、ホテルをチェックアウト後駅に行って荷物をロッカーに入れたのが10時半、延岡行きのバスに乗るため午後3時には戻って来なければならないので実質半日しかない。
駆け足で廻れば2〜3カ所行けなくもないが、じっくり熊本城だけ観ようと決めて市電に乗った。

クリックすると元のサイズで表示します
加藤清正公の銅像に挨拶して櫨方門(はぜかたもん)から入った。
まずは石垣の美しさに目を奪われる。青葉の間に見える櫓や天守閣はまだまだ先の高みにあり、行きつ戻りつしながら石垣をカメラに収めた。
クリックすると元のサイズで表示しますとりわけ左画像の石垣は二様の石垣(にようのいしがき)と呼ばれ、熊本城ならではのもので一見の価値あり。以下そばにあった案内板から引用。
ここの石垣は隅部の反り(勾配)や積み方が著しく異なっている姿が同時に観られることから「二様の石垣」と云われている。
向かって右手、隅部の勾配が緩やかな石垣が築城当初の加藤時代のものと考えられ、左手は細川時代になって増築されたもので勾配が急になっている。
隅部の石の形や積み方にも違いが観られ、重ね積みから算木積みへと時代による石積み技術の進歩が解る貴重な資料となっている。
また、不揃いの石を使っている加藤時代の積み方(乱れ積み)と、比較的同じ大きさに加工した石を使い整然と積み上げる(布積み)細川時代との違いも平部において観ることができる。

ロンブーの淳さんは城が好きで、見学する時は攻め入る軍の足軽目線で観るのだと何かで云っていたが、なるほどそうして観ると配置や設計などさらに興味深くなる。
   クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
宇土櫓(うどやぐら)と大天守閣・小天守閣のいずれも最上階まで上がり、急な階段を降りる時は膝がガクガクした。闇り御門(くらがりごもん)も圧巻。
  クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
帰りの石段を下り、須戸口門(すどぐちもん)近くまで来てでハタと気づいた。本丸御殿に行っていないではないか!
でも引き返す気力はもうなかった。それにバスの時間も迫っている。
もう一度おいでということだ、などと自分に言い訳しながら駅に向かった(こういうケースはあまり実現しない>へ<)。

さあバスに揺られて3時間、実家へ。

2

2012/5/18

G.W. 鹿児島  

クリックすると元のサイズで表示しますGWは郷里で中学校の同窓会があったので帰省した。
7日間の日程だったので、実家に帰る前に寄り道する事を思いついた。
九州新幹線が鹿児島まで開通したことだし、宮崎→鹿児島→熊本→郷里と南九州を時計回りに迂回して帰ることにした。
そう言えば鹿児島には20年以上会っていない旧友がいる。乗り継ぎの時にちょっとでも会えればと思い、久々に電話をして会う約束をした。
宮崎市で1泊した翌朝、日豊本線で鹿児島中央駅へ。
改札口に友人が待っていた。彼女の記憶では22年ぶりの再会だと言う。
駅ビルのカフェでひとしきりおしゃべりし、「せっかくだから磯庭園くらい見ていったら?」と言われそうすることにした。
新幹線のチケットは買ってなかったし、気ままな一人旅なのでどうにでもなる。
要は5月4日の同窓会に間に合えばいいのだ。
クリックすると元のサイズで表示します

      クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
磯庭園は正式には仙巌園という名称で、江戸時代初期に島津光久(19代当主)によって築庭された大名庭園。
桜島を築山に、錦江湾を池に見立てるという何とも雄大な借景であるが、あいにくの曇天で桜島の上部は雲に隠れていた。
園内は広大すぎて短い時間では廻りきれず麓の方を一回りした。
NHK大河ドラマの「篤姫」で撮影されたという看板がそこかしこにあった。
売店に併設された薩摩切子ギャラリーは目の保養だけ。

クリックすると元のサイズで表示します駅に戻る途中、鶴丸城趾でタクシーを降り、歴史資料センター、県立図書館、市立美術館、県立博物館、照国神社などが並ぶ石垣の上を散策した。
時間がなくてそのどれもに入館できず残念だった。
「地面の所々が黒いでしょう? 桜島の灰よ」と教えられた。
石垣には西南の役の弾痕が無数にあった。
西郷さんは上野と違って軍服姿、近くに天璋院篤姫の像もあった。
   クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します

天文館をぶらぶらし、遅い昼食を摂りながらまた話し込み、結局新幹線に乗ったのは夕方だった。
改札口で友人と別れる時「絶対また会おうね。」と言いながら不用意にも涙ぐみそうになった。
年賀状で毎年「会いたいね」と書いて22年ぶりの再会だったのだから、今度いつまた会えるかわからない。

鹿児島〜熊本は45分であっという間だった。
窓からの景色に期待していたが、交互にトンネル・防音壁・トンネル・防音壁で、まさに地図記号の線路のようだった。

路面電車の走っている町が好きだ。鹿児島市も熊本市もそうだった。
人が端っこに追いやられている感じがなく、長閑な風景を呈している。
      クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します



4

2011/8/6

番外篇 築地ツアー  

木曽路の旅から戻った22日の夕刻、品川駅で「解散」とはならなかった。
改めてMさんの歓迎会が芝パークホテル前「都映」で行われた。
高校時代の同級生はもちろん、先輩、後輩も交えて総勢11名の賑やかな会となり、お開きは深夜12時。
翌日は築地市場見学。午前9時築地本願寺前集合となっている。
我々の後にケアンズ旅行に行った後輩たちがやはりMさんにお世話になり、ぜひとも築地の案内をしたいと企画したのだった。
そういう訳でアクセスのよい都心のmさん宅に泊めていただくことに。
Kさん姉妹も歓迎会から加わり、大挙して5人がお世話になった。

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
午前9時過ぎの場内市場はすでに片付けモードの店もあったが、それでも活気に満ちていた。
後で名前を知ったターレット・トラック、通称「ターレ」が縦横無尽に走り、「そこどいて!」「危ねえよ!」の大声が飛び交っている。
忙しく立ち働く人たちの邪魔にならないよう見学、買い物してまわった。
新鮮な魚がどれも安い! 珍しいものもいろいろ。「サメの心臓 刺身で」には驚いた。
       クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
場外もひと通り見て回った。
人気の店は長蛇の列で外国人の観光客も多い。
昼食は予約しておいた「築地 すし好」。う〜〜ん美味!

後輩とは築地で別れ、午後3時に私たちも解散。
Mさんは成田に向かい南半球オーストラリアへ、私たちもそれぞれの家路についた。


0

2011/8/4

女4人木曽路旅 8  

クリックすると元のサイズで表示します
「時間があったら『桃介(ももすけ)橋』を見てお帰りください。」
別れ際に旅館のご主人にそう言われた。
タクシーの運転手さんに伝えると、橋を望み昼食ができる喫茶店に案内してくれた。
店にはバルコニーがあり、絶好のビューポイントだった。
(パノラマ撮影をし忘れ、2枚をつないでみたがやはり上手くいかない)
昼食をすませ橋を見に行く。
Mさんはお店で休憩(疲れていたか、はたまたスカイレールと同じく吊り橋が苦手?)、Zさんも橋の手前で引き返し、mさんと二人で対岸まで渡った。
クリックすると元のサイズで表示します

1922年に造られた日本最古最大の木造吊り橋で、78年には老朽化で通行禁止になったが93年に近代化遺産として復元されている。詳細はこちらを。
豪壮にして優美といった感じの見事な橋だった。
中央の主塔から河川敷に続く階段があり、降りてみたかったが時間がなかった。
吊り橋といっても頑丈な構造、多少のことでは揺れない。
橋上でピョンピョン跳ねるmさんと、店から手を振るMさんが対照的。
クリックすると元のサイズで表示します

南木曽駅までは歩いて行ける距離だった。
午後2時55分、私たち四人は車中の人となり帰路についた。
クリックすると元のサイズで表示します余談になるが、この旅をするまで「南木曽」を「ミナミキソ」と読んでいた。
新宿駅の緑の窓口で乗車券を買う時「行きは中津川まで、帰りはミナミキソから」と言った。
駅員さんは「はい」と応えてコンピュータに打ち込み、途中で時刻表をめくり、再びコンピュータに向かい発券した。
そして「帰りの乗車駅は『ナギソ』と読みます。」と言われた。
思わず赤面^o^; これから旅行する地名を読み間違っていたとは!
そのことを話すとZさんもmさんも同じだったのでちょっと安心した。
待てよ、駅員さんも一度は「ハイ」と言った。「ミナミキソ」と入力してコンピュータが反応せず、時刻表で確認したのでは…? 駅員さんだからといって全国の駅名を知っているとは限らない…。
プロがそうなら私たちだって無理はないよね、などと言い訳してみるがともかくひとつ学んだ。桃介橋の所在地「読書(よみかき)」も珍しい。

名古屋でのぞみに乗り換え、午後6時過ぎに品川駅到着。
こうして女4人木曽路旅は楽しく無事に終了した。
たかだか1泊2日の旅日記をVol.8まで引っ張ってしまった!

実はそこで「解散」ではなかったが…。


2

2011/8/2

女4人木曽路旅 7  

あらためて中山道 妻籠宿についてガイドブックを読むと、
日本で最初に江戸時代末期の宿場町の復元と保存を行った場所。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

とある。
午前10時に店々がオープンし、まずはみんなでコーヒー、コーヒーが苦手なMさんは大好きな紅茶を飲むことからスタート。
クリックすると元のサイズで表示します
町の中心部に街道をはさんで本陣、脇本陣がある。
本陣・脇本陣が何たるか、恥ずかしながらこれまでよく知らなかった。

妻籠宿本陣は藤村の母の実家でもある。
幕末に馬籠の島崎正樹(「夜明け前」の主人公のモデル)に嫁ぎ七人の子をもうけ、その末っ子が春樹(藤村)。
後に藤村の次兄広助(ひろすけ)が母の実家で伯父のこの家の養子となり、最後の当主になった。
当時の家は明治時代に取り壊されたが、平成7年に江戸時代後期の間取り図を元に忠実に復元されている。
ところがなぜか内部の写真を一枚も撮っていない! 見学に夢中になっていたのか?門は早朝の散歩で撮ったもの。なので内部の様子はこちらを。

クリックすると元のサイズで表示します
本陣の斜向かいに脇本陣奥谷と同家の蔵を利用した歴史資料館がある。
「林」が姓、「奥谷(おくや)」は屋号らしい。
クリックすると元のサイズで表示します
藤村の母は妻籠から馬籠へ、初恋の人ゆふさんは馬籠から妻籠のこの旧家に嫁いでいる。
  まだあげ初めし前髪の
  林檎のもとに見えしとき
  前にさしたる花櫛の
  花ある君と思ひけり

  やさしく白き手をのべて
  林檎をわれにあたへしは
  薄紅の秋の実に
  人こひ初めしはじめなり

  わがこゝろなきためいきの
  その髪の毛にかゝるとき
  たのしき恋の盃を
  君が情に酌みしかな

  林檎畑の樹の下に
  おのづからなる細道は
  誰が踏みそめしかたみぞと
  問ひたまふこそこひしけれ

        「初恋」(若菜集)


こちらにはガイドの方がいて、他の観光客に説明されている途中から加わって聞いた。
この屋内もあまり撮影してなくて悔やまれる。
隠し階段、隠し部屋、2階から来客を確認するための隠し窓、各部屋で異なる鴨居など凝りに凝っている。
居間の囲炉裏の座り方には厳然とした家父長制度が守られていたようだ。
(前述「脇本陣奥谷」サイトの画像を参照あれ。)
土間を向いた上座に当主。その左隣に後継者の長男が座って父の振る舞いから日々学んでいく。
当主の右側に姑・嫁と並ぶ。姑のやり方を見ながら、嫁は家のしきたりを覚える。
その前の囲炉裏には食事の配膳をするための細長い板が渡っている。
「これを見てください」とガイドさんがゴザをめくると、姑の席は畳、嫁の席は板の間だった。
半畳足らずのスペース、かえって手間も工費もかかりそうだがそこは徹底している。
長男とその他の子どもにも格段の差がある。
父親と長男の向かい側、土間を背にして他の子どもたちが座る。
薪は土間の方からくべ、暖かい炎は父と長男に、燃えてない薪の尻尾と煙は弟妹側に。背後につい立てこそあれ寒かったに違いない。

クリックすると元のサイズで表示します
名字の「林」をデザインした瓦。
クリックすると元のサイズで表示します
部屋の戸板の煤を洗い流したら浮かび上がってきたという絵。
琵琶を持っているから、龍に乗った弁財天か?
クリックすると元のサイズで表示します
浴室の天井。デザインに凝ったのではない。細木をこうすることによって(しかも微妙な角度があるらしい)、水滴が一切落ちなくなるそうだ。名工の技に感心するばかり。

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します クリックすると元のサイズで表示します
資料館になっている林家の蔵 / 明治天皇小休所に決定した際作られたテーブル / 障子に嵌められた当時のままの硝子。微妙に波打っている / 庭の一部


地酒、お菓子、ヒノキ細工etc. お土産も買った。
さあ、そろそろ駅に向かわねば…。
路線バスに乗って地元の方と交流するのも楽しいが、「4人ならタクシーの方が安いですよ。」という旅館のご主人のアドバイスでタクシーにした。
                                  ……to be continued.


2

2011/8/1

女4人木曽路旅 6  

クリックすると元のサイズで表示します
高台には神社、小学校、お寺などがあった。
後で会ったおじさんが「明日明後日(23、24日)は神社のお祭りで御輿が出るんですよ。」と言っていたのがこの和智埜(わちの)神社。
昨日町に入った時から、通りに下がった提灯がせっかくの景観を損ねているようで気になっていたが、祭礼の飾りつけと知って安心した。
クリックすると元のサイズで表示します小学校には今では珍しい二宮金次郎像があった。苔むして薪というより若木を背負っているよう。
そばには「希望を胸に未来を見つめる」といった感じの少年少女の像も。なんだか微笑ましい。
明応9年(1500年)開山の光徳寺は鬼瓦が目を惹いた。

街道下の男垂川両岸は緑が鮮やかで、そちらにも降りてみた。
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します

1時間半の散歩から宿に戻ると、みんな起きて朝のシャワーをすませていた。
午前8時の朝食を終え、10時にチェックアウト。
観光の間荷物を預かっていただくことにして、通りに出た。

                   ……to be continued

1

2011/7/31

女4人木曽路旅 5  

クリックすると元のサイズで表示します 
クリックすると元のサイズで表示しますここは画像を中心に。
早朝で光量不足だったが、どこを見てもカメラを向けたくなりたくさん撮った。
トップは枡形(ますがた)の跡辺りを両方向から。
枡形については解説板にあった文を引用。
江戸時代の初めに制定された宿場は、一種の城塞の役割も持たされ、宿場の出入口には必ず枡形が設けられた。
宿場の枡形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が進入しにくいようにしたものである。


クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示しますどの家もさりげない演出を施し、さらに風情を醸し出している。
クリックすると元のサイズで表示します






郵便局は史料館を兼ねており、ポストは「書状集箱」。
配達の方もこのいでたち。さらに菅笠・股引姿が正装だとか。

              ……to be continued.

1

2011/7/29

女4人木曽路旅 4  

クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します旅館「藤乙(ふじおと)」に着いたのは午後4時近かった。
いかにも日本旅館といった感じの風情のある建物である。
通されたのは2階の奥の部屋で二間続き、池のある中庭と男垂川に面した二方が窓の明るい部屋だった。
町の店や施設は5時には閉まるということなので明日観光することにした。
そうでなくとも靴を脱いで畳の上に脚を投げ出したら、あらためて出かける気力は残っていなかった。
お風呂でウォーキングの汗を流し、6時の夕食まで部屋でのんびりした。
エアコンよりも窓を開けて入ってくる風の方が涼しくて気持ちいい。
聞こえてくるヒグラシと川音も夏の夕暮れを演出して何とも心地よい。

クリックすると元のサイズで表示します夕食は1階の大広間で。
地元の食材をふんだんに使ったメニューで、どれも美味しかった。
旅館の方が写真を撮り、それをプリントして記念にいただけるということでハイ・チーズ
ちなみに向かって左側が上戸組、右側が下戸組。
特筆することでもないが…^o^;

クリックすると元のサイズで表示します食事を終え部屋に戻ると布団が敷かれてあった。
「まだ8時過ぎたばかりよ。眠れるわけないわよねぇ」
と、持ち帰った飲み残りの冷酒で再開。
私は奥の間の布団の上で伸びをしたらそれっきり眠ってしまった。
翌日聞くと、みんなも9時前後には就寝したらしい。

早く寝たせいで夜中の1時半頃に目覚め、それから眠れなくなった。
仕方なくそっと起きて、音を立てないように座椅子と座布団を廊下に持ち出し、常夜灯の下に置いた。
紙コップに持参したインスタントコーヒーを入れ、mさんの買ってきた週刊誌を読むこと2時間。
それも読み尽くし、することがなく無理しても寝ようと部屋に戻り布団に入ると、隣のmさんが「山の中だから電波の具合が悪くて…」とイヤホーンを差し出してきた。どうやらラジオの深夜放送を聴いていたらしい。
暗闇でもできること、携帯画像を整理したり自宅のパソコンに送信したが、それもすぐに済んだ。
眠る努力をしたが目は冴えるばかり。
何度かカーテンをめくっているうち、ようやく外が白んできた。
向かいの山に朝霧がかかって幻想的な風景である。
二度寝を諦め早朝の散歩をすることに決めた。

旅館の人もまだ起きていない午前5時、玄関の内鍵をそっと開け表に出ると朝刊配達のおじさんとかち合った。
じかに新聞を受け取って玄関に置き、通りに出た。
長袖でも肌寒さを感じる清冽な大気の中、妻籠宿はひっそりとしてまだ目覚めていなかった。
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します

                 ……to be continued.

0

2011/7/28

女4人木曽路旅 3  

クリックすると元のサイズで表示します「木曽路はすべて山の中である。」
藤村の「夜明け前」のフレーズのせいか、中山道は昼なお暗い杉木立の道だと勝手にイメージしていた。
しかしこれまでの行程はほとんど明るい日差しの照りつける道だった。
だが馬籠峠からの下りになると、まさにイメージ通りの風景に変わった。
「ほら、時代劇なんかで刺客が潜んでいて『待て!待て!』って出てきそうじゃない?」などと他愛のないおしゃべりをしながら歩いた。
下り坂といっても決して楽チンなわけではない。石畳の凹凸に次の一歩の置き場を選ばなくてはならないし、湧き水が沁み出して湿っている所ではツルッと滑りそうになる。

峠から約700mほど行った所に一石栃立場茶屋(いちこくとちたてばちゃや)があった。
クリックすると元のサイズで表示します

往時は7軒ほどのの茶屋があり、旅人が疲れを癒す休憩地として栄えた所だそうだが、現在残っているのは1軒だけ。
管理人のおじさんがいて、お茶に小梅、キャンディーでもてなしていただいた。
建物保存の為か『志』の箱があったので、みんなでささやかな志をした。
庭に見事な枝垂れ桜があり、「春はきれいでしょうね」と言うと、うれしそうに満開の時期のパネル写真を何枚も見せてくれた。
「ハイカーは新緑、紅葉の頃に集中しているのでほとんど見てもらえなくて残念です。」とおっしゃっていた。
桜の木の下に湧き水がこんこんと溢れていて、ぬるくなったペットボトルの飲み物と入れ替えていただき先を急ぐ。

クリックすると元のサイズで表示します男垂(おたる)川のせせらぎの音が聴こえてきた。
妻籠側から登ってきた中学生の集団とすれ違う。
全員が「こんにちは!」「こんにちは!」と元気に挨拶してくれ実に清々しい。
それにしても急峻な下り坂でつま先が痛くなる。
皇女和宮の降嫁もこの道を通ったそうだが、お籠を傾けずに担ぐのにさぞや苦労したことだろう。
余談ではあるが検索してみて驚いた。その行列は数十キロメートルにも及んだという。
先頭が妻籠でも最後尾は馬籠どころではない。本隊通過に4〜5日かかったとか。興味のある方は。

茶屋のおじさんが「ぜひ見ていくように」と言っていた雄滝・雌滝にも立ち寄った。吉川英治の「宮本武蔵」にも登場するらしい。
雄滝の前で「あのポーズやろう!」ということになった。
ケアンズ旅行の時、ミラミラ滝の前で全員同じポーズをして盛り上がり、後日それをMさんがマウスパッドにしてくれた。
近くにいた人にお願いしてハイポーズ!
クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します木々の間からポツポツと人家や田畑が見えるようになり、大妻籠の看板を撮影したのが15時01分!
妻籠宿の中心部まではさらに20分ほどかかったが目標達成と言っていい。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します観光案内所に行くと荷物が届いていた。
付けられたタグの裏面にはこう書いてあった。
「江戸時代、宿場から宿場への荷物輸送のため伝馬制度がありました。お客様方のために、現代の伝馬であればと願います。」
翌日になったがここで「完歩証明書」を発行してもらった。
(翌日で正解だった。なぜなら宿泊した旅館で半額になる券をいただいたから。主婦ですもの、100円の値引きもしっかり!)
証明書は紙ではなくヒノキ製。オーストラリアから来たMさんは英文のものを発行してもらった。
今回の旅の一番の記念、お土産になった。

さあ、早く宿に行って疲れた脚を休めたい!
               ……to be continued.


2



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ