孫悟空の武器は言わずと知れた「如意棒」である。
如意棒はまたの名を如意金箍棒(神珍鉄とも。)
というのであるが、その名のとおり棒の両サイドに
金属の箍(たが)がはまっている。
さて、実は悟空の頭にも金属の箍がはまっている。
これは悟空が三蔵法師の弟子となってすぐのころ、
悟空が戒めを聞かなかったり、暴れたりした時の
ために、観世音菩薩が三蔵法師に与えたものであり、
緊箍呪という呪文を唱えれば悟空の頭を締め付けて
コントロールできるようになるという代物である。
悟空はまんまと騙されてこれをかぶらされた。
おそらく、如意棒にはまっている箍も棒のエネル
ギーや能力を抑制・制限する為にはまっているので
あろう。
悟空と如意棒のこの相似点には注目すべきであろう。
もしかすると、如意棒は悟空そのものをシンボライズ
したものかもしれない。(一心同体ともいえる。)
悟空とは、つまり「空を悟る」=「空観」であるから
その「現象を無に帰する力」は物凄いものがある。
だから抑制の箍が必要であり、ある程度の枠を設けて
おく必要がある。さもないと、俗に言う「頑空」と
いう状態に陥って、何でも空観によって否定(ネーティ)
してしまうことになる可能性があるのである。
では、如意棒とは空観そのものなのであろうか?そう
とも言えるが、ここはやはり道具的な解釈をしてみた
い。それにはやはり詩文が参考になる。以下は悟空が
天宮で大暴れをやり、いったん捕まったが、切っても
焼いても傷つける事が出来なかったため、太上老君の
八卦炉で灰にしようとして、八卦炉に放りこまれた後、
命からがら脱出してまた大暴れを開始した時の様子を
詠んだ詩文の一節である。
―前略―
一点の霊光、太虚(おおぞら)に徹る、いずれの
拄杖(つえ)かこれにしかん、或いは長く或いは短く、
人の用うるに随い、横竪(じゅうおう)、
横(じざい)に排(はら)いて、巻(おさ)め
舒(の)ばすに任(まか)す
―後略― 【平凡社奇書シリーズ「西遊記」より】
如意棒という名前や伸縮自在の様子から、性エネルギー
(シャクティー)と考えがちであるが、この詩文から
推測すると、どうもそうではないようである。
そう、如意棒とは光線である。精神を極度に集中させ
た光なのである。その光線の当たる場所に雑念や妄想
などは存在できない。その光線は、どこまでも伸び、
どこまでも縮み、照らす範囲も極小から極大まで自由
自在である。この精神の光線は空観と等価なのであろう。
これは、おそらく金丹道修行者の「回光返照」の光を
指しているのだと思う。

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