じゃあ、次の二禅のやり方はというと、初禅で得られた
境地をまったく捨てて、さらに精妙な状態の似相の出現を
待つのである。
そして、その精妙な似相を拡げたり縮めたり、安定して
自在に、出来るようになれば第二禅定は完成となる。次の
第三・第四禅定も同様の過程となる。それぞれで得られた
境地を捨て去り、さらに精妙なものを追求していくわけ
である。
まぁ、ものの本には八触とか喜・楽支とか、体験の専門
用語が解説してあるが、実際にどのようなものかは体験に
よらないと想像の域を出ないものである。だから、第二・
第三・第四禅定の境地ともなると窺い知る事さえも困難
であろう。
因みに、この地遍の解説の最後に書いてあったと思った
が、この初禅定に達する事が出来る人は、修行者千人の
内ひとりが達成できるぐらいの機根を持っているだろ
うということであった。
第二禅定はその初禅定を成就した千人にひとりが達成可能
であり、第三禅定はその第二禅定を成就した千人にひとりが
達成可能であり、第四禅定はその第三禅定を成就した千人に
ひとりが達成可能であるという事であったように記憶して
いる。もしかしたら、第三・第四の場合はもっと条件が
緩かったかもしれないが、単純計算してみると、1000の
4乗であるから、第四禅定まで達する事の出来る人は一千億人
にひとりという計算になる。これではちょっとオーバーか。(;^_^A
まぁ、なんせ第四禅定を成就するのはとっても難しいのだと
いうことであろう。お釈迦さまは少年時代にこれらの禅定を
クリアしておられたという話であるから、話半分としても
宗教的な超超天才であったのだろう。
因みに、何かの本で読んだ記憶で定かではないので根拠は
薄弱だが、真言密教は「初法明道」に達した菩薩の為に
説かれたものであり、その初法明道の境地は初禅の境地と
同じだったように記憶している…。(この部分、私の妄想
だったかもしれないので、信用しないでください。(;^_^A
因みに「初法明道」は大日経に出ていたと記憶してます。)
で、話は飛ぶのだが、真言密教の所依の根本経典である
「金剛頂経」には五相成身観という修行法が出てくる。
一切義成就菩薩(シッダールタ菩薩)が菩提樹下で
一道清浄と呼ばれる境地にまで達したが、そこから先、
どうしても悟りを得て佛身を成就できなくて苦しんで
いる時、一切如来が虚空に出現して、この観法を授け
るのである。そして、その教えのとおり実践した菩薩
はめでたく悟りを得るという話なのだが、密教の
「金剛界法」の次第はこの記述を元に編まれており、
その中には五相成身観の実修が組み込まれている。
ここで、ピンと来るものがあれば、その方は大学時代の
私と同じ発想の持ち主である。そう、佛伝によると、悟り
を開いて解脱する為には、第四禅定まで登りつめなけれ
ばならない。そして金剛頂経の一切義成就菩薩への諸佛に
よる天啓である五相成身観の暗示。…ということは、
密教のお次第は第四禅定の境地で修されるべきものなので
あろう。
法の効験の完全性を期すならば、第四禅定によって修法
するべきであると私は結論したが、もちろん密教が初法
明道の菩薩に対して説かれたものだとすれば、初禅定に
住することができれば、ある程度の効験を発揮する事は
可能だろう。…と思う。
真言行者は月輪観やらなくっちゃね。(;^_^A
…できなくても、とりあえず初禅から。

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