一般に、奇門遁甲に対して抱かれるイメージとは「ある
方位を用いることにより、さまざまな願望を成就させた
り、人を思い通りに動かしたり、ギャンブルや勝負事に
勝ったり、運気を上げたりすることができる…すごい
法術である」というところだろうか。
だが果たして実際のところ、その効果はそのイメージど
おりのものなのであろうか。どうも誇張された宣伝や夢
のような効能だけがひとり歩きしているように思える。
これを使って天下を取った古代中国の軍師は、有名な
ところでは、周の文王を補佐した太公望呂尚、蜀の劉備
玄徳を補佐した諸葛孔明、漢の高祖劉邦を補佐した張良、
明の太祖朱元璋を補佐した劉伯温などが挙げられる。
実際、彼らはほぼ真伝に近い奇門遁甲を駆使できたから
こそ、天下を取ることができたのであろう。でも、よく
考えてみてほしい。そんなにすごい法術ならば、別に人
に仕えて軍師の地位に甘んじる必要はなく、自らが主君
となって奇門遁甲を使って天下を取ればいいではないか。
そうしなかった、いや、そう出来なかった所に奇門遁甲
の限界を垣間見ることができよう。
私が台湾で習った奇門遁甲は真伝かどうかはわからないが、
これを私に教えてくれた銭老師は「それほどの卓効は期待
できないが、そこそこは使える法術である。」という認識
に立っていたように思う。実際に彼は、奇門遁甲を使って
ささやかな願望をかなえるぐらいならば、鬼神(幽霊)を
使った方が効果が高いとも言っていた。
実は、私は彼に奇門遁甲を習い始めたときすぐ「パチンコ
や競馬などのギャンブルで、奇門遁甲を用いて財を成すこ
とが可能であるか?」と聞いてみた。彼は苦笑しながら、
「それは無理だろう。その人の八字の命式で壬が財ならば
可能性はあるが…。」と答えた。その理由を突っ込んでは
聞かなかったが、どうやら奇門遁甲を用いて、直接的に
財を成そうと思っても、その人の持つ宿命の財運の分限を
超えることは難しいということらしかった。
「命・卜・相」でも書いたとおり、生まれついての宿命や
福分は人によってそれぞれ異なり、その限定された範囲を
超越することはどだい無理な話なのである。だから、奇門
遁甲(これも卜に属する占いであるが)を使って吉方位等
の選択を行ったとしても、その自らの宿命の範囲の福分を
超越する事は出来ないのである。
例えば、普通の人が何人かの知人にお金を借りに行く場合、
当てになる知人の数はそれほど多くはないだろう。そして、
たとえ奇門遁甲の吉方位を使ったとしても、その先方の資
力があなたに百万円を限度として貸せるぐらいであるなら、
70〜80万借りられれば大成功であろうし、非常に効果
があったと言えるだろう。
もし奇門遁甲を使わず、さらに良機を見定めることが出来
なかったり、信用されていなかったりした場合は10〜2
0万ぐらいしか借りることが出来ないかもしれないし、ま
ったく貸してもらえないこともあるだろう。数人が貸して
くれたとしてもその金額はそれほど多くはならない。そう、
基本の単位が小さいからである。
ところが、巨大な福分を持っている人がお金を借りる場合、
その知人はたくさんいる上に、先方の資力も大きい。仮に
一億円を限度として貸せるぐらいだとしたら、奇門遁甲を
使えば7千〜8千万は借りられる。そして、そういう知人
がさらに数人いれば、その額は数倍にもなる。実際、奇門
遁甲など使わなくても、運の悪いときでも1千万や2千万
ぐらいはゆうに都合がつくのが巨大な福分を持って生まれた
人なのである。
そこで当然、おのれの福分に限界があるならば、巨大な福
徳を有する人物にこれを用いさせ、そのおこぼれに預かろ
うというコバンザメ的な発想が生まれるわけなのであろう。
貧弱な自分の命を、限定されたなかで構築するより、その
方が効率的ではあるだろう。理想的な君主による理想的な
国家の出現を夢見たであろう歴代の軍師様たちにはコバン
ザメ的というのは、ちと失礼な言い回しかもしれないが…。
…まぁ、
とは言うものの、限られた自らの運の範囲内で、出来るだけ
良い選択をするために使うツールとしてなら、奇門遁甲は
やはり燦然と光を放つ法術であることに間違いはないだろう。
幻想を抱く必要もないかわりに、失望することもない。正し
く使えば、それなりの効果はあるはずなのだから。

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