今まで謎とされていた圓寂坊の
活動状況・思想・妄想・幻想…
そして告知事項などを書き綴るブログ
2007/3/27
バーバラ・スィーリングという人が書いた「イエス
のミステリー」という本に興味深い話が載っている。
2年ほど前に読んだ本なので記憶がそれほど確かでは
ないが、ひとつの知恵として面白いので、ちょっと
紹介してみたい。正確な話にあたりたい人は、上記
の本を参照してほしい。買わなくても、ちょっと
大きな図書館に行けばおいてあると思うので。
さて、イエスキリストが生まれる前のこと、当時の
ユダヤ人の王である、ヘロデ王はある方法で巨万の
富を築いていた。その方法とは…。
紀元前のその時代でも、ユダヤ人たちはすでに世界
各地に広がり、そこでいろいろな商売をして、それ
なりに豊かな生活をしていたようである。もちろん、
ユダヤ人であるから、深くユダヤ教を信じていた。
そこでヘロデ王は、あるユダヤ教の一派と結託して
宗教儀式による富の集積を考案したのである。その
宗教儀式とは「バプテスマ」つまり「洗礼」という
儀式である。本来はヨルダン川の流れの中に浸かり、
頭から水を灌ぎかける儀式で、これを受けることに
より、神の許しを得たり、罪を清めたりするもので
あったらしいが、この方法を改良?して、ヨルダン
川でない場所でも、ユダヤ教の僧が頭から水を灌ぐ
ことで同じ効果を発生すると喧伝し、世界各地に
バプテスマを授ける僧をたくさん派遣したのである。
現代の日本でもそうであるように、宗教儀式には
お布施、つまりお礼の金品を納めるのが常識である。
当時もそうであった。パプテスマの儀式を受ける人
は金貨1枚を支払うことになっていた。そして、
バプテスマを受けた徴として、ヨルダン川の川底の
白い小石をもらうのである。
ヘロデ王と結託したユダヤ教の僧たちは、大きな
布袋にヨルダン川の白い小石をいっぱいに詰め、
ヨーロッパや中央アジアなどユダヤ人の居住する
地域をめざして旅立っていき、各地で裕福に暮らし
ているユダヤ人たちにバプテスマを授けたので
あった。ユダヤ教を深く信じるユダヤ人の信徒
たちは、我先にとバプテスマを受けたそうである。
そして…。
僧たちは、帰途に着くころにはその袋に白い石の
かわりに金貨をいっぱいにして帰ってくるという
仕組みである。つまり、なんでもないただの白い
小石が金貨に化けるという錬金術である。ヘロデ
王はこれによって巨万の富を築いた。
…これぞ「石を黄金に変える錬金術!」といえる
だろう。

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2007/3/24
けさ、夢を見た。感じとしては吉夢であろう
と思う。
誰かと一緒に会食したような気がするのだが、
誰だったかは定かではない。
でも不思議なことに、目覚めた時、その夢で
食べた料理の味をある程度記憶していた。
つまり、味覚を伴う夢であったのだ。それから、
その料理にはけっこう色とりどりの物が配置
してあったので、色彩も伴っていたということ
であろう。
どんな料理であったかをここで話すと、吉夢と
しての効果が無くなってしまう様な気がする
ため、ここでは書かないが、未だ経験したこと
のない味覚であったのが、不思議である。
もしかすると、以前食べたことのある料理の
味覚から敷衍して脳が創りだしたものなの
かもしれないが、経験したことのない美味で
あった。少々淡白な感じはあったが。
夢でも、味覚まで伴ってくると、しかも経験
したことのない味なら、現実世界と脳の作り
出すバーチャルな世界との違いがほとんど
なくなってくる。…興味深い。

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2007/3/15
アレイスター・クロウリーによると、アラビアン
ナイトは魔術研究に欠かせない文献であるらしい。
物語に象徴的に込められている寓意を考えながら
読むと、得るところが大きいだろうと私も思う。
で、実はアラビアンナイトに含まれている話と
して非常に有名な「アラジンと魔法のランプ」
の導入部分を少し研究してみたい。
魔法のランプをこすると、魔神が現れて何でも
願い事をかなえてくれるというあの物語だ。
(この話を含んでいない千一夜物語の原典も
あるのだが、ネットで調べてみると、ちゃんと
含んでいる物もあるらしい。)
さて、興味深いのはアラジンが魔法使いに連れ
られて、地下の洞窟からランプを取ってくる時の
話である。
私の記憶によれば、貧しい青年アラジンを騙し
て雇った魔法使いは、彼を郊外のある場所に連れ
て行き、地面に埋まっている蓋(石板)を開いた。
そして「この地下の洞窟の奥に所蔵されている、
古いランプを取ってくるのだ」と命令する。また
「いいか、この洞窟の奥にたどり着くまでに、
さまざまな部屋があり、そこにはきれいな宝石や
金銀財宝が置かれているが、それに手を触れては
ならないぞ。もし、手を触れたり心を奪われたり
すれば、きっと帰って来ることは出来ない。」と
脅した。さらに「これはお守りだ。困った時に
使え」とだけ言って古い指輪を渡したのである。
アラジンは、レクチャーされたとおりに宝石や
金銀に気を奪われないようにして、なんとか洞
窟の奥にたどり着くことができた。そして古ぼ
けたランプを「こんな物が一体何の役に立つの
だろう。」と思いながらも、洞窟の入り口で待っ
ている魔法使いのところまで帰った。
が、その「早くランプを渡せ!」という態度に
異常なものと身の危険を感じて「地上に出てから
渡します」と言い張ったために、怒った魔法使い
は石板でできた蓋を閉めて去っていってしまう。
地下の洞窟に閉じ込められてしまったアラジン
は、困って手をこすり合わせて神に祈ったの
だったか…。ちょっと記憶が定かではないが、
結果的に魔法使いにもらった指輪がこすれること
になり、指輪の精が出現し、その指輪の精に願っ
て、ランプを携えて無事に家に帰ることができた…。
結局ランプと指輪の両方を手に入れた話であるが、
この話に隠されている寓意を見逃してはならない
と思う。
地下洞窟は人間の意識の深層を表している
と考えるとよいだろう。さまざまな宝石や
金銀他、洞窟に所蔵されているものは、
潜在意識や深層意識に印象されて眠っている
象徴である。それに目を向けてはいけないと
いうのは、修行中には精神を統御して目的
物に一心集中しなければならないことを
表している。アラジンは一心集中の成果で
ランプを首尾よく手に入れることができた。
どんな願い事もかなえるランプと「ランプの
精」とは深層意識をコントロールする鍵であ
ろう。また、魔法使いがアラジンに渡した指
輪と「指輪の精」は潜在意識をコントロール
する程度の鍵であったのだろう。
その証拠に、後に指輪の精がアラジンに語って
言うには「私の力はランプの精には遠く及び
ません。限られた仕事しかできないのです。」
これはまさに潜在意識と深層意識の力の差なの
であろう。
おそらく、魔法使いは既に潜在意識をコント
ロール出来る実力を身につけており、次の
深層意識をコントロールできるランプを直接
取りに行くのは危険なので、身代わりとして
だめもとでアラジンに取りに行かせたのであろう。
そして、その時に指輪を渡したというのは、ア
ラジンに潜在意識のコントロール法までを伝授
したことを象徴しているのだと思う。つまり、
潜在意識のコントロールが出来なければ、深層
意識にはたどり着けないからだ。
このように読んでいくと、千一夜物語は寓意の
宝庫である。
「開け〜、ゴマ。」

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