2007/4/23
昔、大学生時代のことだが、八卦と万物の照応を
思索する瞑想法を思いついたことがある。
これには集約的方法と展開的方法がある。
集約的方法は案外簡単である。日常の事象が
目に触れたり、耳に聞こえたり、体感したり
したとき、それがどの八卦に属するか当て
はめていくものである。まぁ、このやり方は
易占を修練した方なら大概やっていると思うが。
具体的には、例えば老人を見れば乾の卦象を
思い浮かべ、若者なら艮の卦象を思い浮かべる。
本を見れば離の卦象を思い浮かべ、車を見れば
巽の卦象を思い浮かべる。貴金属を見れば兌の
卦象を思い浮かべ、風呂敷を見れば坤の卦象を
思い浮かべる。スピーカーを見れば震の卦象を
思い浮かべ、陥没した道路を見れば坎の卦象を
思い浮かべるという風だ。
そしてその見た情景が八卦の卦象に還っていく
様をイメージするのであるが、八卦の卦象に吸い
込まれるようにイメージしても良いだろう。重要
なのは八卦の卦象を鮮明にイメージすることで
ある。色は金色がよいか…。
上記はすべて目に触れた物を挙げたが、耳で
聞いたり、鼻でかいだり、舌で味わったり、
皮膚で感じたりしたことなども、すべて一応
八卦に当てはめてそれぞれの卦象を思い浮か
べてみるわけだ。
こういう風に当てはめていく為には最初は
八卦の卦象がどういうものと照応しているか
少々学習しておく必要があるが、慣れれば
どうということはないし、熟練すれば、万
物を八卦に当てはめて所属させることがで
きるようになるだろう。
次に、展開的方法はというと、これは紙と
鉛筆を用意する。まず適当な大きさの紙の
真ん中に八卦の卦象のどれかを書く。つまり
易の卦象を真ん中に書き込み、それから連想
する物象をその周りに書き、円で囲み中央の
離と線で結ぶ。中心の易卦に還るわけである。
このようにして、中心の易卦から連想する
関連イメージをどんどん同様にして書き込ん
でいくのである。
例えば、離の卦象を真ん中に書き込んだとしよう。
そこから離、離と思いながら「本」、「めがね」、
「文字」、「年増の女性」、「接着剤」、「牡丹の
花」、「貝」等々、ひとつ思いつくごとにその
具象・抽象イメージ書いて円で囲み、中央の離の
卦象と線で結ぶのである。線で結ぶことによって
また離、離とイメージを探していき、できるだけ
紙面を埋めるようにする。もちろん、疲れたら
やめてよい。
また、事象と卦象の関係を位置や距離であらわし
てもよい。熟練したらそれに挑戦するのもよい
だろう。
この展開的方法はかなり集中力を養うことが
出来ると思う。仏教で言えば止観の「観」的な
やり方であろう。
上記の集約・展開の瞑想に熟練すれば、易占
に役立つことはもちろん、そのイメージ喚起力
によって、ある種の魔法として八卦を使うことが
できるようになるはずだ。


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2007/4/14
先月22日に初タケノコを発見してから、
毎日クワを肩に担いで裏の畑やお墓を見
回っている。どちらも竹やぶがそばにある
ので、タケノコが生えてくるからである。
見回ってどうするのかというと、見つけ
たら即刻クワで掘り起こすのだ。
…別に食用にするためではない。タケノコ
を自然に任せて放置しておくと、どんどん
土地を侵食して、畑も墓も竹やぶに化して
しまうからである。
先月は毎日2〜3個見つけては掘っていた
が、最近は毎日5〜6個は掘る。
因みに私はタケノコがあまり好きではない。
(シナチクは好きなのだが。(;^_^A)どうも
食感が私の好みに合わないのである。タケ
ノコの大好きな人に言わせると「そりゃー
食わず嫌いでしょう。本当においしいタケノ
コを食べたことないんじゃないの?」という
ことになるのだが、味ではなく、食感が嫌い
なのだからどうしようもない。
(でも、春巻きなどに細かく刻んだタケノコ
が入っている食感は嫌ではない。(・_・?))
実はうちの母親はタケノコが大好きで、子供
のころ、旬(しゅん)の時期になると、決ま
って食卓にタケノコ料理が並んだ。…いやと
いうほど。(T_T)
そして「おいしいから食べなさい」とかなり
うるさく迫られた。まぁ、別に肉を食べる
ことほど嫌悪感はなかったので、少々は食べた
が、好みは結局変わらなかった。これも私が
タケノコが好きではない原因のひとつではない
かと思う。「三つ子の魂百まで」か。(使い方
が間違っているかな。(;^_^A)
で、ある坊さんもタケノコが好きらしく、
上記のタケノコ好きの人と同じセリフを
のたまわったのち、つづけて「朝掘りのタケ
ノコをゆでて食ってみろ。うまいから。」
などと強く言うので、だまされたと思って
朝掘りして下茹でしたタケノコを使い、
ワカメと煮込んで若竹煮を作って食べてみた。
まぁ、味付けは我ながらよく出来た(総代
さんの一人に試食してもらい「旨い」という
お墨付きをもらった)が、やっぱり好きに
なれない。旨い物がたくさんある日本の世の
中で、好きじゃない物を無理して食べる必要
はないのでは?とあらためて思う今日この頃
である。
話は変わるが、鬱の人に「頑張れ」とは
禁句らしい。「頑張らなくていいんだよ」と
いうのが正解らしい。
…世の中には「〜は嫌いだ」とか「〜はいやだ」
とかいう人に、自分の価値観や感覚でもって
良かれと判断し、その嫌がる人を説得して
頑張れとか努力しろとか気軽に言う人がけっ
こういる。で、そういう人に限って「うまく
行けば俺のお陰、失敗すればお前のせい」だと
するような人が多いような気がするのは気の
せいだろうか。
明日に生きる道の選択は何百通りもあるだろうに。

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2007/4/3
住職交代の手続きはとっても煩わしい。(T_T)
今まで、多くの障害を乗り越えて本山や住職の
間を取り持って動いてきたが、またほぼ一から
やり直し+αという状況に至った。
世俗のわずらわしい手続き、お寺の仕事などを
今まで一人でこなしてきたが、もういっぱい
いっぱいである。…もう、疲れた。(-_-;)
こんなことに心の力を浪費するのはいかがな
ものか?…ばかばかしくなった。
だから、この件に関して私はもう自分で動きたく
ないので、人任せにすることにした。(まだ、
心中で決めてあるだけだが…。)なるようになる
だろう。
すると、
とたんに、先日まで具合の悪かった胃が、調子
よくなった。ストレスって凄いな…と思った。

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