内丹の法は、近代では伊藤高遠氏、また現代では
小野田大蔵氏、張耀文氏、そして有名な高藤聡一
郎氏などによって日本に紹介された。中でも、
高藤氏の方法論は、伍柳派から独自の方法を編み
出し、多種多彩であり、本人が行方不明?となった
現在でも大きな影響力を持っているだろう。
かく云う私も、上記の諸賢の著書の影響を受け、
仙道・仙人にあこがれた少年・青年時代があった。
特に、高藤聡一郎氏の著書はほとんど目を通した。
で、彼らの著書等によると、性功と命功を論じた
のちに、すぐに文武の火を用いた呼吸法によって
下丹田に陽気を起こすのを着手とする。
私は1990年から1994年にかけて台湾へ
留学したのだが、その時、当然これら仙道・金丹
道関係の書籍を集め、目を通すこととなった。
すると、仙道には色々な流派があり、それぞれ
にやり方・方法論があり、伍柳派のように下丹田
に陽気を起こすところから始める流派が主流と
いう訳ではなく、そのうちの一派に過ぎないのだ
という認識を持つに至った。
上丹田から始めるやり方(趙避塵「性命法訣明指」
「太乙金華宗旨」等)、中丹田から始めるやり方
(眞気運行法等)、下丹田から始めるやり方(伍柳
派等)、さらには直接玄関を開き、虚空からエネル
ギーを取り入れるやり方(黄元吉等…これは聞いた
話なので、確証は無いが。(;^_^A)など、たくさん
あるようであった。
これらの方法論の中で、上乗の方法は玄関を開いて
虚空から直接神聖エネルギーを取り入れる方法論で
あろうが、この方法は優れた素質と清らかなカルマを
持つ人向きであろうと思われるので、万人向きとは
言い難いだろう。神聖エネルギーに耐えられるだけの
体を練り上げていないと、おそらくそのまま昇天する。
そして、下丹田から始める方法は、入りやすいが、
修行が途中で止まってしまう可能性が高いように
思われる。…なぜなら、命功が先走り、性功が伴わ
ないからだと推測される。さらに云うと、生命エネ
ルギーをコントロールする精神集中力というか、
定力というか、それが不足するからだろう。小薬
までは出来ても、それ以降、行が進まないという
状況が出現することが多いかもしれない。
だから、まず性功を修める必要がある。心を鎮めに
鎮め、生命エネルギーをコントロールする光を
作り出さなければならない。その為の方法論は
「性命法訣明指」「太乙金華宗旨」などに詳しい。
この流派は、上丹田に意念を集中して光を創り
出すことから始める。以前に少し触れたことがあるが、
孫悟空の如意棒とはこれである。この光に逢えば
すべての雑念や妄想・魔縁はその息の根を止められ、
生息不可能となる。
次に、この光を下丹田に移す。これこそが、火裡に
金蓮を種(うえ)るとの意味であると愚考する。
話はちょっと飛ぶが、インドのヨーガでも、まず
眉間に意識を集中することから始める。眉間とは
アジナーチャクラである。なぜ、アジナーチャク
ラに意識を集中させることから始めるかというと、
このチャクラには下部のチャクラのカルマを解く
力があるから、というのがその理由らしい。
金丹道の上丹田から着手する流派は、ヨーガの
流れを受け継いでいるのかもしれない。

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