昨日、美馬市のある寺院にて、般若心経秘鍵の講習会の
最後の会(第五会だったか?)が行われ、それに参加
してきた。【そのお寺は講師先生のご自坊である。】
その先生は伝統教学の研鑽から、いろいろ視点を述べ
ておられたが、不思議なことに伝統教学以外からの
アプローチをなんとなく続けてきた私の視点とかなり
似通っていることはひとつの驚きであるなとの感想を
もった。
その後、講師の先生のお誘いで、夕食を数人の参加者
の坊さんたちとご一緒したのであるが、その会食中に、
弘法大師が入唐される以前の七年間は一体どういう生
活をされていたのかとか、20年分の留学費用をどのよう
にして捻出されたのか、などというのが少し話題になった。
…で、
今朝ネットサーフィンをしていたら、それに関して興味
深い説を発見したので、ちょっと紹介してみたい。それは
エンサイクロメディア空海というHPにある、宮坂宥洪師の
唱える説である。なるほど、そういう歴史もありうる
かなと思わせる説である。↓
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/miyasaka/post-11.html
他に、司馬遼太郎氏の「空海の風景」に対する批評なども
ある。この本を読んだのは大学生の頃だったように記憶
するが、当時私が漠然と感じていた違和感を明確に言葉
にして批判されているように思う。興味のある方はどうぞ。↓
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/miyasaka/post-234.html
…ただし「情報は理解するだけに留め、受け入れて
信仰する必要はない」という、いつものコメントを
最後に記しておこう。(*^_^*)

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