少しばかり占いなどかじっていると、日常生活において
「微妙な機」を見分けることに敏感になるものである。
予兆と言うものはそれをさらに現実に現象の段階から
観た(チャンクダウンというのかな)ものであろう。
注意して観察さえしていれば、結構はっきり出てくるし、
毎日起こる一定の出来事の変化も前兆として捉えること
ができる。(この部分、意味は機微<予兆であり、機微
の集まりが予兆と仮定している。…念のため。)
さて、うちのお寺は庫裏の建て替えをしているので、
私は現在マンションからお寺に通っているというのは
以前述べたとおりである。で、毎朝車で出かけるので
あるが、駐車場から道路へ出るときは右折して出なけ
ればならない。そこで、左右を細心に確認し、両サイ
ドの道に車が途切れてから出ていくのである。
だから、道が混んでいるときには、けっこう待つ時も
あるし、反対に妙に空いていてすぐに出て行けることも
ある。実は、私はこの時、いかにスムースに出て行け
るかによって、その日一日の出来事を予想している。
そしてまた、それはけっこう的確に当る。
まず、平日なのに、時間帯も混む時間帯なのに、ちょ
うど、うまく左右方向からの車が途切れ、全く待たな
いで道路に出ることが出来た日は、午前中はほとんど
何事もなく無事にスムースに事が運んでいく。
逆に、日曜などで空いているはずなのに、全く車が
途切れないで、長いこと待たされる日は、午前中に
何かゴタゴタがあったり、不愉快な思いをさせられる
ことが多い。
上記、どちらも「午前中は」と書いたのは、その続きが
あるからである。道路に出たあと、お寺まで約10分ほどの
道のりであるが、その途中の道で起こる出来事などから、
午後がどのように展開するか予想できる。
たとえ、スムースに出発できても、途中で通行に支障が
あったり、事故に遭いそうな危ない目にあったり、変な
物や異常な物を見たりすると、午後からの展開はあまり
うまくないことが多いのである。
また逆に、出発時に待ったり、支障があったりしても、
その後の道がスムースならば、午後からは快適に過ごせる
場合がほとんどである。
本当に不思議な事だが、今のマンションに住んで1年半、
上記のように朝の出勤タイムで一日の前兆を得て、ほと
んどまちがいない。
昔、台湾で銭老師に六壬を習っていた時、六壬の初歩
練習として、毎朝その日の干支で課式をたて(時間は
十二支の籤で決める)、それによってその日一日
の予測をする練習をしていたことがある。まぁ、その
時は未熟で(…今もだが(;^_^A)当ったりはずれたり
であったが、この出勤タイムの予想はほとんどはずれ
ない。もちろん細かい事象を六壬のように出すことは
できないし、アバウトであるが…面白いものである。

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