今まで謎とされていた圓寂坊の
活動状況・思想・妄想・幻想…
そして告知事項などを書き綴るブログ
2009/11/8
知識を自己と同一視すると、それは
煩悩の源泉となる。
それは思考や行動に制約を与え、自由
闊達な自性を阻害して、現実との間に
齟齬を生じる。
現実を受容できなければ古い自己を変容
することはできない。古い自己を変容させる
為には、まず現実を受容することから始め
なければならない。
希望や期待は役に立たない。
知識は理解するにとどめ、同意せず、心に
受容しなければ煩悩はすなわち菩提となる
だろう。

0
2009/11/7
知識はいつのまにか頭の中に入り込み、
それが自分だと錯覚させる。
すると、自己の本来のありようとの葛藤が
始まるのである。
そして、不覚のうちに本来の自由闊達な
自己を制約・制限することになり、現実を
受容することに障害を生じてしまう。
さらに、自我の一部となった知識は、思い
込みのエネルギーを吸収して成長し、自分を
裁く裁判官となって自己を責めさいなむ。
あぁ、その知識はもともと拾ったものである。
捨ててしまっても全然かまわない。
なぜあなたは我慢するのか?

1
2009/11/6
情報・知識はあなたではない。
外部から来るものである。
それは、受容して同意することにより、
自己と同一視され、自我を形成するのだ。
そのようにして形成された自我は
真の自己ではない。
知識で現実を裁くと、
多くの場合苦しみが生じるだろう。
これが煩悩である。
だからと言って、知識を捨て去る必要はない。
現実を理解するために使えば良いのだ。
知識は利用できる。
が、同意してはならない。
知識には耳を傾けるべきだ。
が、同意してはならない。

0