夫は出張。私は一人で東京泊まり。
仕事の後、自宅へ戻り小休止。
母がカラオケから帰って来る頃を見計らって実家へ。
母は料理が嫌いな人で、冷凍食品を出してくれます。
キッチンが新しくなっても相変わらずです。
私も私で、父が生きていれば、
何か作ってあげたいと思いましたが、
母と二人では、何でもいいかなと。
母は、父の最期について、まだ納得していません。
病院に対しての怒りは消えることはないようです。
あれから7ヶ月が過ぎ、
季節は秋から冬、冬から春、そして今は梅雨。
母の記憶は自己中で、悪いのは全部他人。
母の気持ちは気持ちとして、
それはそれで仕方がないと思うと前置きして、
私の気持ちを少し話しました。
勤労感謝の日との連休で、医師も看護師も
いつもの日曜日より少なかったのかもしれません。
ナースステーションに置かれた父の心電図モニターは、
ずっと警戒音を発していたそうです。
大学病院の医師は、それでも、一度も来てくれませんでした。
病室の目の前にあるナースステーションにいたのは研修医。
父の血圧が下がってきても一度も来てくれませんでした。
呼吸が止まっても、直ぐには誰も来てくれませんでした。
確かに、延命治療は要らないと承諾しました。
それでも医師が看取ってくれるものだと、私も思ってました。
でも・・・・・・
息子と同じ年頃の研修医に何ができたでしょうか。
人工呼吸を、お願いしていたら、
きっと一所懸命やってくれたと思います。
仕方がなかったんじゃないかと、私は思うのです。
母は、私の話の意味など分かりたくないという感じでした。
母が考えを変えることはないでしょうけど、
私が違う感じ方をしているということだけは伝えたいです。

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