2月27日、両国にある回向院を訪れた。昔、落語のファンで、回向院というのはよく耳にする有名なお寺という認識だったが、これまでなかなか訪れる機会に恵まれなかった。
回向院は、今から約350年前、明暦の大火をきっかけにして生まれた浄土宗の寺院。
「市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、『万人塚』という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。この起こりこそが『有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの』として現在までも守られてきた当院の理念です」(回向院ホームページより)。
ということで、ペットの供養塔なども建てられている。また、江戸後期には勧進相撲の定場所となり、明治末期までの76年間、回向院相撲として名を残している。それが元で、両国に国技館が建てられた。これが今日の大相撲の起源である。
これが本堂(?)。関東大震災による火災で境内の堂宇は灰燼に帰し、その後再建されたものの1945年の東京大空襲により再び焼失、第2次世界大戦後再建された。
これが馬頭観音堂。中には、ペットの名前の書かれた卒塔婆がずらりと並んでいる。このほか、「猫塚」(文化13年)、「唐犬八之塚」(慶応2年)、「オットセイ供養塔」(大正15年)、さらに義太夫協会の「犬猫供養塔」、飼鳥獣商協同組合による「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」など、様々な動物の慰霊碑、供養碑がある。
海難慰霊塔などの一角、熱心に人々に拝まれている石碑があった。何だろうと思って近づいてみると、なんと鼠小僧次郎吉の墓だった。墓の前にある「お前立ち」を削ったものがお守りになるということで、参拝者が後を絶たない。
鼠小僧というと義賊として知られ、汚職大名や悪徳商人に盗みに入り、盗んだ小判を貧しい人たちに分け与えたという伝説で知られている。
しかし実際の鼠小僧は、盗んだお金のほとんどは飲む・打つ・買うに浪費、屋敷に盗みに入ったのも、敷地が広くて中に入れば警備が手薄など盗みやすかったからというのが研究者の間での定説であるようだ。何だか全く夢のない話だが、人々の願望が現実の人物を越えて鼠小僧というキャラクターを形成していったのは興味深い。
鼠小僧が捕まった後、役人による家宅捜索が行われたが、ほとんど金品は見つからなかった。「貧しい人たちに分け与えていた」という憶測も、ここから生まれた。また彼は徒党を組まず、単身で大名屋敷などに乗り込んでいたことから、反権力の具現者として祭り上げられていったらしい。
鼠小僧が自分についての伝説を知ったら、一体どんな気持ちがするだろうか、ふとそんなことを考えた。

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