明日から3週間ほど旅に出るのだが、前夜祭として藤野の石山(京塚山)と一本松山(蚕影山)に登ってみた。
ご存じの方もおられるかも知れないが、中央線藤野駅から見える山のラブレター。このラブレターは、石山の中腹にある。藤野スポーツ広場に自動車を停めて登った。
かつて、石山の山頂には烏帽子岩が北を向いて立っており、人々の信仰を集めていた。現在スポーツ広場となっているところは、元々は八木沢(やんしゃあ)という遙拝場で、榛名神社があった。しかし、明治34年に中央線が開通する際、烏帽子岩は打ち砕かれてトンネルを固めるために使われてしまった。八木沢もグラウンドになったので、榛名神社もなくなった。
前に、2つの石楯尾神社について書いたが、藤野には巨石信仰の痕跡が多く残されている。この烏帽子岩がどうして砕かれてしまったのか。その頃には信仰が形骸化してしまっていたのか、それとも近代化の過程で土着信仰を潰すためにそうしたのか、そうであるならば民衆からの抵抗はなかったのかどうか、などなどより深めてみたい課題である。
これが山頂。京塚山となっている。巨石の面影は微塵もないが、小さな岩があった。
これが元八木沢。現在スポーツ広場。
石山から20分程で一本松山。別名を蚕影山(こかげやま)という。名前の由来となった一本松はもう枯れてしまって何もない。山頂は伐採されていて、西面の展望がよい。蚕影とは、いかにも養蚕が盛んだったこの地を忍ばせる名前である。


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