最近、北丹沢が気になり出した。藤野からだと、平たいピラミッドのような大室山がよく見える。北丹沢からだと、津久井町青根にある神ノ川ヒュッテから登る道があるらしい。
この神ノ川ヒュッテは、藤野にある北丹沢山岳センターが管理しているのだが、昨年の台風9号で壊滅に近い被害を受けた。藤野から南下して神ノ川流域に続く県道76号線も工事中という話を聞いていたので、どんな風になっているのか、雨の中を出かけてみた。
神ノ川ヒュッテは、本年9月再開に向けて工事中で、道路も問題なく通行できるようになっていた。近い内に大室山を登ってみようと思いつつ帰路に着くと、神ノ川流域にキャンプ場やマス釣り場以外に幾つか目に付くものがある。鐘撞山登山口や真新しい鳥居、それに滝である。この3つが全て関連していると知り、かなり驚いた。
まずは、神ノ川にかかる折花橋にある折花神社。真新しい鳥居は、この折花神社のものだった。境内と言うより、細長い敷地のど真ん中に小社がぽつんとある程度の簡素な感じのする神社。
エビラ沢の滝。この付近はエビラ沢園地として整備されており、丹沢のおいしい水を汲める場所もある。夏にはバーベキューをやる人たちもいるとか。エビラは漢字で箙と書き、矢を入れて背負う道具のこと。
さて、これらがどう関連し合っているのか。その鍵が、この地に伝わる折花姫伝説である。折花姫伝説には幾通りかあるようだが、折花神社の由来として紹介されていたのは次の様なものである。
武田家臣の小山田行村が、武田氏滅亡を受けて、追っ手から逃れるために身内の者と大月から奥津久井に逃げてきた。道志川から神ノ川の山道を登り、長者舎付近に滞在していた。追っ手から見張るために鐘撞山に鐘を置いた。しかし、そこまで追っ手が迫り、翁と姥を付けて娘の折花姫を逃がし、自分は戦死する。
丹沢山中を逃げる3人だが、ついに追っ手に捕まり、折花姫は自害して果てる。北丹沢の袖平山とは姫が袖をヒラヒラさせながら逃げていった山、同じく姫次とは姫を従者に渡した山(姫が突き落とされた死んだ場所という説もある)、また翁が死んだ場所はジィジィ宮、姥が死んだ場所はババア宮として、現在でも祀られている。
また、次の様な話もある。長者舎には金持ちの老夫婦と折花姫という美しい娘が住んでいて、鐘撞山に鐘守を置いて見張りをさせていた。ある日、急襲してきた群衆に老夫婦は殺害され、娘は自害した。屋敷からは「さる木の下に小判千枚」という書き物が発見されたという。
詳細は定かではないが、現在でもこんな山深い所に長者が住み着くとは考えにくく、落ち武者狩りを想起させる。
この山域、姫次という何かロマンチックな名前が印象に残っていた位だが、こんな言い伝えがあったとは。姫伝説で言うと、旧秋山村に伝わる雛鶴姫、今回の折花姫、そして「津久井 久保田酒造」でも書いた久保田酒造近くを流れる串川にも串川姫伝説というのがあった。また、陣馬山の明王峠にも白百合姫伝説が言い伝えられている。
これらについては、おいおい深めていきたい。悲運の姫という設定は、とかく伝説に成りやすいのかも知れない。

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