私生活の激動で、この間ブログの更新ができなかった。気がついてみれば、今日で今年も半分。いやはや早いものである。
藤野も梅雨に突入しているが、先日、藤野の南部、牧野の舟久保という小さな集落の辺りを友人とぶらぶらしていて、前々から気になっていた前川橋を見に行くことにした。この橋は昭和8年に架けられたとかいう木の吊り橋で、映画のロケなどにも使われていたのだが、床板が欠損のため、今年の3月から全面通行止めとなっている。
前川橋への分岐から、コンクリートで固められた山道を行くこと650mにて到着。金網が張ってあって中に入れないようになっていたが、脇から自己責任にて侵入。なかなか趣がある。しかし実際に床板が腐って抜け落ちている箇所もあり、これ以上は自己規制をして進まなかった。
その前川橋のすぐ手前に、明らかに人の手になる平たい土地があり、その基礎部分がこの様に石で固められていた。
ふと見ると説明書きがある。
読んでみると、ここは奥牧野城山という所で、戦国時代に武田氏の侵入に備えた北條氏の山城だったという。900坪余りあり、武者屋敷と呼ばれていた。ここで合戦があり、武田側の死者は前川橋の向こう山梨県旧秋山村の一古沢に、北條側の死者は舟久保に塚を作って葬り、その上に松が生えた所から傘松塚と呼んでいる、とのこと。
とすると、この石積みはその時代のもの?! いやいや、結構凄いものを見せて貰いました。友人曰く、この前川橋に通ずる道路は、昔は兵站用の道だったのではないか。当然ながら、戦があった頃は橋はない。平和な時代になってから橋が架けられるようになり、それが現在の前川橋に至ったのではないか、と推測していた。
残念ながらこの前川橋は朽ち果てていく一方で、通行止めになってしまっているから更に通る人は少なく、奥牧野城山の記憶も人々の間で遠くなっていくのだろうか。私も微力ながら忘れられないように、ここに書き留めておくことにする。

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