今年の夏はお盆をずらして夏休みをとり、連休を取って実家に帰省した。家族との共通の趣味、それはお寺巡りで、今までにも高野山に何回か行ったことがある。今回は、奈良、和歌山、京都を訪れ、生駒聖天、高野山、鞍馬寺を参拝してきた。駆け足で紹介したい。
子供の頃、何も考えずに登ったり、山上にある遊園地に行っていたのが大阪と奈良の県境にある生駒山であるが、元々は、言い伝えによれば655(斉明天皇元)年に役行者が開いたとされる修験道場で、空海も修行したと言われている。1678(延宝6)年に湛海律師が歓喜天を祀った。この時が現在は真言律宗大本山となっている宝山寺(通称生駒聖天)の開山と思われる。
父親によると、このお寺は商売によいということで、商売をやっていた母方の両親と一緒に、私が生まれるずっと前の40年以上も前に訪れたとの事。自分の年齢より前の記憶ってどんなだろう?と不思議な気分である。
立派な山門。
本堂と、その後ろにそそり立つ般若窟。
奥の院に通じる参道。1918年に日本で初めてのケーブルカーが敷設された程多くの人の信仰を集めた聖天さんは、父親によると、当時は足の踏み場もないほど多くの人が参詣しに来ていたという。
その参道で、なんと羽化寸前の蝉を発見。神秘的な姿を少しだけ拝見させて貰った。
翌日は高野山へ。今回は、壇上伽藍近くの櫻池院に投宿させて頂いた。この寺には、武田信玄の位牌がある。また、昭和の作庭家、故重森三玲氏による石庭は、国の登録記念物となっている。
本堂と石庭。
夜の石庭。
石庭の前に咲く蓮。
櫻池院では、写経や写仏を行なうことが出来る。今回は、家族全員で写仏を行なったが、全員が初体験で、みんなにとってとてもいい体験となった。
高野山は3年後に開創1200年を迎えるが、数々の記念事業が進められている。その目玉となっているのが、礎だけになっていた壇上伽藍の中門の再興である。これはその建築現場。
今回の高野山滞在での大きな発見の1つが、この梵恩舎。カフェなのだが、なかなか居心地がよく、外国人ツーリストもよく訪れている。また、高野山近辺で活動しているアーティスト達のギャラリーにもなっており、訪れた際には、高野紙という伝統的な和紙の展示を行なっていた。
奥の院には夜と昼の2回参詣したが、今回は夜の参詣の際に、心を落ち着けて深く考え事をすることが出来た。
さて最後は京都御所の北方にある鞍馬山。源義経が若き頃、修行した山として知られている。山中には鞍馬寺と由岐神社。近くには貴船神社がある。この近辺は、陳腐なものの言い方になるが、「京都のパワースポット」として知られているようである。
鞍馬寺は、鑑真の高弟鑑禎(がんてい)が770(宝亀元)年に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。12世紀より天台宗に属するが、神智学の影響を受けた鞍馬寺貫主信楽香雲が1947(昭和22)年10月に天台宗より独立させて、鞍馬弘教という宗教団体の総本山となっている。
山内には、歴史的な建物などある一方で、鞍馬弘教となってからの、その教義をシンボライズしたものやメッセージが至る所に目に付く。これは愛と光と力の像「いのち」。
これは本堂だが、その手前の円陣のようなものに注目されたい。
この中心の3角形が京都で一番のパワースポットで、ここに立つとよい気を受けることが出来ると、参拝していた方に教えていただいたが、よく分からなかった。
このメッセージには納得がいく。
本堂から奥の院魔王殿へ向かう。奥の院は、約650万年前、地球を救うために金星から魔王が降り立った場所であるとされている。しかし、ここに至るまでに猛烈な雷雨に見舞われ、やっと魔王殿に辿り着いたら雨宿りの人で一杯であった。
意を決して鞍馬山を駆け下りたところ、西門に到達した時点で雨が止んだので、歩いてすぐの貴船神社にも参詣。なんと、そこには櫻池院でも見た故重森三玲氏による石庭が。
この石庭は、古代の人々が神祭りを行なった神聖な祭場、天津磐境(あまついわさか)をイメージして作られた。庭全体は船の形をし、中央の椿が神が降臨する樹に見立てられている。
何だか、信仰の百貨店を見るような旅となったが、家族でこうした旅が出来るというのは、それ自体がとても有難いことであった。

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