この週末は、連れ合いと山梨県南巨摩郡早川町近辺を訪れた。主な目的は、連れ合いのリクエストである奈良田を訪れること。奈良田という場所は全く知らなかったのだが、同じ早川町にある七面山は、今年の6月に登ったばかりであり、図らずもその地域を再訪する事となった。
折角行くのならば、紅葉シーズンでもあるし、早川町は南アルプスの麓でもあるので、どこか気軽にハイキングできるところはないかと考えた。南アルプスは、藤野に住むより前に、連れ合いと一度北岳に登ったきりである。今回は、都合で登山は出来ないので、北岳登山の基点となる広河原よりも遥かに手前の夜叉神峠(1770m)に行くことにした。高度は低いが、1時間程度のハイキングで、運が良ければ白峰三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)が眺められる場所でもある。
しかし、土曜は朝からいかにも雨が降りそうな曇天。夜叉神峠も曇りで、靄が出てきて、逆に幻想的な雰囲気になっていた。
峠近くになると、地衣類ではないかと思うのだが、樹上に簾の様になっているものが多数見られる。
これが峠だが、残念ながら遠くの山は靄の中。靄の中、法螺貝を思う存分吹かせて貰った。
印象に残った橅(ぶな)の大木。
さて、奈良田に行くには身延町の方まで一旦南下してから早川沿いに南アルプス街道を北上するのが一般的だが、富士川町から丸山林道を越えて一気に奈良田に向かう道もあり、とりあえず行ってみることにしたが、途中で路肩崩落のため通行止め。しょうがなく引き返すところにあった、平林という集落の氷室神社を何気なしに訪れてみた。
駐車場からかなりの長い石段を登ると、これが社。しかし、「お寺の本堂じゃん」。それもそのはず、ここは770年の創建で元々は真言宗鷹尾寺と言い、武田家や徳川家に庇護されてきた。それが明治の神仏分離令で氷室神社と改称したのである。
境内裏手には樹齢1200年の大杉が聳え立つ。
思わぬ寄り道をして、本日の宿である奈良田温泉白根館に着いたのはもう暗くなってから。ここは、日本秘湯を守る会会員の宿で、非常に泉質が良い事で評判である。含硫黄-ナトリウム-塩化物泉で、糖尿病や通風に効くと言う。玄関から硫黄の匂いがし、実際に入ってみると肌がすぐツルツルになるのでびっくりする。
夕食は、山人料理と題して、これは旅館の男衆で獲ってきた熊の肉。実は、ここ奈良田は、昭和30年代までは焼畑農業と狩猟採集で生きてきた集落である。連れ合いは、焼畑農業に興味があり、日本の焼畑文化を知りたいという事で、奈良田を訪れることにしたのである。奈良田も今は高齢化が進み、焼畑も行なわれていないが、狩猟をやる人はまだいるようである。ちなみに、日本で現在でも焼畑をやっているのは、宮崎県東臼杵郡椎葉村の一部でのみである。
翌日は朝から奈良田の文化探索。奈良田の伝統的な家屋。屋根の上に石が葺いてある。
早川町歴史民俗資料館を訪れる。焼畑が忙しい時は、家に帰らずに家族全員でアラク小屋と呼ばれる小屋に寝泊りした。これはその復元。
これは元々の奈良田集落。昭和30年代に、西山ダム建設に伴い移転を余儀なくされ、ここは現在は奈良田湖となっている。焼畑が消えたのと軌を一にしている。
焼畑の細かい話はまたの機会に譲るとして、帰路の途中、湯島の大杉を訪れる。この木も樹齢1200年とされていて、圧倒される。
日本列島を横切る250kmにもなる糸魚川−静岡構造線。フォッサマグナ(大きな溝)とも呼ばれるこの大断層が、早川町でも数箇所見られる。ここは新倉露頭と呼ばれ、写真では分かりにくいかもしれないが、中央下真ん中より心持ち右斜め上に延びるラインで、西側(左)が黒色粘板岩の古い地層となっており、東側(右)の新しい地層にのし上がっている。
ふと立ち寄ったギャラリーcocorotoにて、早川町赤沢宿在住の絵師、映水さんの仏画展覧会を拝見したのがきっかけで、旅の最後は赤沢宿へ。ここは、身延山から登って七面山へと一旦下る山道の途中にある宿場で、昔は信仰登山をする多くの人で賑わったのだが、現在営業している宿は1軒のみ。時間が止まったような場所である。
この2日間、色々とありすぎて着いていくのが大変だったが、久々に充実した旅だった。ダム建設によって南アルプス最深部の人々の暮らしは大きく変わったが、今またリニア中央新幹線が南アルプスを横断するという計画があり、このことによってどのような未来が待ち受けているのか。早川町には、またテーマを決めてゆっくりと訪れてみたい。

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