最近は、色々と忙しさにかまけて山に登ることがめっきり少なくなってきていた。しかし急に寒くなってきたため、「どこかに登るなら今の内」という考えが頭をもたげ、前々から登ってみたかった奥秩父の盟主、金峰山(2599m)に登ることにした。
行く事を決めてから興味深いことが分かった。今夏、家族と金峯山寺を訪れたことは既に書いたが、名前が似ているのはそれもそのはず、役行者が蔵王権現を勧請したとされ、古くは金峯山と書き、修験の山として信仰の対象となってきたということだ。山頂には昇仙峡の北にある金桜神社の本宮があり、古くから修験者の奉賽品や経塚など、金峰山信仰に関わる考古遺物が発見されている。
登山ルートは幾つかあるが、長野県側からだと標高差約1000m。一方、自動車で行ける日本最高所の大弛峠(2360m)からだと標高差約250mと一気にお手軽になる。本来の参道は、長野県側から登って昇仙峡に抜ける長大なルートだったようだが、今回は平日にたまたま一日休みという条件だったので、お手軽なコースを選ぶことにした。
峠までの林道は前夜の雨の影響で、靄に包まれている。2000m付近の紅葉が見事である。8時30分、登山開始。登り始めからこんな感じの道が続き、細かいアップダウンがある。米栂、樅、岳樺、七竈などの原生林と、一面の苔の絨毯が見られる。
朝日峠と朝日岳(2579m)の間にある名もないピーク(2528m)がガレ場になっていて、岩に黄緑色の苔が貼り付いている。
ガレ場からの眺め。9時頃で、富士山がかろうじて雲の隙間から覗いていたが、それが本日最高の眺めになるとは。ちなみに、これはフリークライミングの聖地、小川山方面の眺め。
七竈がこんなに生えている場所があるとは。そして目立つ。
山頂は目前。這松と石楠花が多い尽くし、僅かに盆栽のような岳樺が生えている世界。
ここが山頂。岩だらけである。11時に着いた。
山頂から少し南に下ったところに、金峰山の真髄とも言うべき五丈岩がある。この岩は、林道上からも顕著に目立っていたが、実際に近くに行って見ると、その迫力に驚かされる。北面から上に登れるとのことだったが、実際に1人頂上まで登った若者がいたが、私は中盤まで登ってみて、登山靴では無理だと思い、諦めて敗退した。
ちなみに、私が到達した最高所の場面はこのようなもの。上の写真で青い服の人が立っているのと同じ場所である。テラスの幅は3〜50cm程度か。左側の壁に持ち手はないため、バランスを取りながら進むしかない(だろう)。右側に落ちたら数m落ちて骨折?というような状況である。
同じ場所から岩の最上部を眺める。
同行した友人とも話していたのだが、これと同じ幅の平地を歩けと言われたら、何の苦もなく歩けるのに、高所となると足がすくんでしまう。実際には恐怖心が災いして登れないだけかもしれない。この恐怖心をコントロールできたら登れるのではないかと(あと、靴や天候なども重要な要素だが)。この岩は、やはり修行の場として昔から登られてきたのではないだろうか。
五丈岩は登れなかったが、付近には奇奇怪怪な岩峰群があり、その1つに友人と登ってしばし瞑想にふけった。私達が登ったのは、この写真中央奥の、上に重なった平たい岩。
さて、今回の山行では、私が今興味を持っている、盆栽が表現しようとしている世界が見られたことが大きな収穫だった。これは岳樺で、通常なら10m位に真っ直ぐ育つところ、山頂の厳しい条件の中、樹高僅か1m程度となり、風向きによって一方向に傾いて盆栽用語で言う「吹流し」という状態となっている。また、枯れ枝のことを「神(ジン)」と言うが、まさにそのようになっている枯れ枝が右奥に見られる。
また、苔が半端じゃないほど生えていたが、見たこともない苔もふくめて、苔の饗宴が見事で、しばし見とれてしまった。
「山に来るとびっくりするものが見られる」といつも思う。何だかまとまりのない文章になってしまったが、それも、驚くべきものが次々に見られたためとご理解いただきたい。当日は、山頂付近では靄が一面に立ち込め、眺望は全くなかったが、その代わりとして、例えばこの写真。細かい水蒸気が枝に繰り返し吹き付け、雨が降っていないにもかかわらず、水滴のようになっていて、時々滴り落ちていた。
結論として、やはり「凄かった」。金峰山もまた登りたいし、この付近の奥秩父の山々でも、まだ登っていない甲武信ヶ岳や瑞牆山などにも興味が湧いてきたところである。

2