ここの所すっきりしない天気が続いていたが、週末は久々に晴れたので、奥多摩に出かけた。せせらぎの里美術館の犬塚勉展はなかなか凄く、連れ合いも「絵を見て泣いたのは初めてだ」という程感動していた。
詳細は見てのお楽しみにしておくが、38歳で谷川岳で遭難死したこの画家の、死の直前の日記の「なぜ山に登るか、山を歩くか。自然の中で身体を躍動させることにより、強烈に自然との一体感を得る。自然の美しさを体ごと味わう。その喜び、感動のゆえに、沢・岩と過激に山に登るのである」という下りに共感した。絶筆となった沢の絵からは、何とも言えない凄みを感じた。
帰りは、青梅市内の塩船観音に立ち寄る。ここはツツジが有名で、観光地みたいな寺かなと思っていたのだが、色々調べてみると興味深い歴史を持っていた。
言い伝えによると、寺の創建は大化年間に、八百比丘尼が紫金の千手観音像を安置したことに始まる。大化というと、歴史でも習った大化の改新が飛鳥時代なので、奈良時代より前で古墳時代の終わり頃である。八百比丘尼というと、若狭の国のとある漁村で、食べると不老不死となると言われていた人魚の肉を知らずに食べてしまった娘のことで、尼になって全国を行脚したと言われている。手塚治虫の漫画「火の鳥」にも取り上げられていたのを思い出した。
天平年間(奈良時代)に行基が、周囲の地形が丘に囲まれて船の形に似ていることから、塩船と名付ける。本堂や阿弥陀堂は室町時代に作られて、今もそのまま使われている。現在では、真言宗醍醐派に属し、修験道の再興にも力を入れ、5月3日には火渡荒行を行う他、一般の人でも参加できる修験塾を開いている。
阿弥陀堂と薬師堂。山門もそうだったが、薬師堂も茅葺きである。
これが本堂。記憶に残る限りでは、茅葺きの寺を見たのは初めてかも知れない。安定感と素朴さと懐かしさ(?)が入り交じった、何とも言えない感動を覚えた。昔の村のお寺なんて、もしかしたら多くはこういう風に茅葺きだったのかも知れない。
言い伝えによると(くどいが)寺が創建されてから1350年以上経つというのだが、その真偽をさておいても、堂々たる風格を兼ね備えた古刹である。

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