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島原の乱

1637(寛永14)年10月24日から 翌年にかけ島原の乱が

起こった この争いは打ち続く飢饉であるにもかかわらず 島原

城主松倉重政父子や 天草領主寺沢広高が 領民に苛酷な年貢を

課したり キリスト教徒を弾圧したことに抵抗した百姓の一揆

島原半島と天草島は かつてキリシタン大名の有馬晴信と小西

行長の領地 一揆勢のなかにも有馬・小西氏の牢人やキリスト教徒

が多かった

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小西行長の遺臣益田好次の子で 16歳の天草四郎時貞を首領に

いただき 一揆勢3万余りは原城跡に立てこもる 一方の幕府は

板倉重昌を派遣し 鎮定にあたらせたが失敗に終わる

ついで老中松平信綱が 九州の諸大名ら約12万人の兵力を動員

原城を包囲し兵糧攻め

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更にオランダ船による海上からの砲撃を求めた この総攻撃で原城

は落城し 天草四郎は討ち取られ 島原の乱は鎮圧されるに至る

反乱軍への処断は苛烈を極め 老若男女約37000人は すべて

首を討たれたとされ 生き残ったのは内通者であった山田右衛門作

ただ一人だったと言われている

今から380年前のことである


http://www.genesis-ot.jp/

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投稿者:監督
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