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船島

船島ちゅ〜ても 何それ(・_・?)ちゅ〜人も多かろう 船島=巌流島

これなら判ることと思う

吉川英治の小説の影響で 宮本武蔵は一躍 知名度を全国区とし

たが 小説が新聞連載されたのは1935年のこと

しかしながらこれは宮本武蔵ちゅ〜 実在した人物を取り上げた

あくまでも小説ぢゃ 当然ながらフィクションであり その連載は

4年間続いた 今でも版を重ねるほどの人気ぶり 当時から既に

有名になり過ぎていてそれが様々な影響を与えた

さらに複数の記録にずれも生じている

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「武公伝」は宝暦5年(1755年)に肥後藩松井家家臣の豊田正剛

が様々な資料を集めて編纂したもの それを孫にあたる肥後

八代城主松井家の家臣・豊田景英が再編纂したものが武蔵の

伝記物として有名な「二天記」 安永5年(1776年)のことぢゃが 

いずれにしても一次資料ではなく 幾人もの人を介しており さらに

武蔵の死後1世紀以上も過ぎている

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巌流島の戦いは慶長17年4月13日(1612年)とされちょります

前出の「二天記」の中に 小次郎が鞘を捨てたという記載が

出てきちょります 

武蔵の養子であった宮本伊織によると 長尺の刀を使った小次郎

に対し 木刀を使った武蔵が一撃で小次郎を倒したとなっちょります

しかしながらあくまでも武蔵の養子がまとめたもの


他の物として 決闘の立ち合いを務めたという 沼田家の沼田家記

がある ある意味これの信用度は高いと考える人は多いのですが

そうなると戦いの様相はまったく変わる

武蔵には弟子4人がおり 対決では1対1で戦い 武蔵は勝利

するも小次郎はまだ生きており 後から弟子が撲殺したとなる


時代が時代であるが故 真実がど〜ぢゃったかわからん

更に驚くべきことに 佐々木小次郎の名字が 佐々木と

いうのも後の時代のもので 判明しちょりません また小説では

美青年ちゅ〜設定ぢゃが 実際のところ40〜60代かも………

そねねな風に言われちょります


読んだことのない人は 一度吉川英治の宮本武蔵を読まれた方が

え〜と思う


http://www.genesis-ot.jp/
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投稿者:監督
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