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事実は闇の中

時は元禄14年3月14日(1701年4月21日)朝 江戸城松の廊下

において播州赤穂藩主・浅野内匠頭が 高家・吉良上野介義央に

斬りつけた 有名な松の廊下の刃傷事件として知られちょる

ここから端を発し12月14日の赤穂浪士の討ち入りよなる

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この刃傷事件は 勅使の饗応役となった内匠頭が 付け届けの

不足を根に持った吉良に冷たくあしらわれ それがもとで起きた

と一般的には語られちょります 吉良上野介義央は高家であり

格式の高い家柄だが 禄は少なく 多くの大名家に礼儀作法の

指南で足りない収入を補佐しちょりました いくら浅野内匠頭

の謝礼が他の大名より少なくても 恥をかかせばわが身に降り

かかり 指南依頼も減るから浅野内匠頭を立腹させるとは思えん

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また一説に 内匠頭は偏頭痛に悩まされることが多く 精神的にも

緊張に強くなかったようぢゃ ちょっとしたことで怒鳴り声を

上げることもあったようで 事件の数日前には 侍医が薬湯を

飲ませた記録も残る

ただ刃傷事件の幕府の対応は 浅野家お家断絶 吉良家お咎め

無しとなる 通常喧嘩両成敗となるが幕府の沙汰はそうなった

おそらく協議を重ね出た採決であろう…………


困ったのか赤穂藩士 突如全員首となった 今と違いすぐにでも

路頭に迷ったしまう 侍として他藩に再就職するには 仇討で名を

あげて………… と思う人も出る ましてや主君の仇を討たんで

何が侍か!ちゅ〜世間の風もつらく当たる


アホな君主で苦労し 珠琢もなかったであろう刃傷で 自ら切腹

しなければならぬ 侍従を気の毒に思い美談として 民衆が称えた

のではないだろぅか!?


http://www.genesis-ot.jp/
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投稿者:監督
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