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命のビザ

今年の7月31日にブログで書いた 杉原千畝(すぎはらちうね)の

映画をレンタルで借りてきた

 
時は1935年 満洲国外交部に諜報員として活動していた 杉原

千畝は高い語学力と情報網を武器に ソ連との北満鉄道譲渡交渉

を穏便に成立させようと奔走していたところ 南川欽吾ら関東軍の

横やりに遭い 憤慨のあまり辞表を提出して日本に帰国する

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その後 念願の在モスクワ日本大使館への赴任を命じられた杉原

だった しかし満州での出来事から彼を警戒するソ連に 入国を

拒否されてしまう 落胆して友人の菊池静男とヤケ酒を飲んだ 

杉原は その夜菊池の家に泊まるが そこで菊池の妹・幸子と

出会い結婚する

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その後杉原は ヘルシンキの日本大使館を経てリトアニアの

カウナスの日本領事館へ領事代理として赴任した 同地で情報を

収集し 激動のヨーロッパ情勢を日本に発信し続けていたが

とうとう第2次世界大戦が勃発してしまう

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ナチス・ドイツに迫害され 国を追われた多くのユダヤ人は難民と

なり カウナスの日本領事館へヴィザの発給を求めてやって来た

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難民たちの数は日に日に増える一方であった 千畝は必死にビザ

を求める彼らに 日本政府からの許可が取れないまま 日本通過

のビザを発給することを決断する それは千畝が自らの立場を

危うくするものだった

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その後リトアニアを退去した杉原は 次に東プロイセン・

ケーニヒスベルクに赴任する 杉原とペシュはドイツ軍が国境地帯

に集結している事実を掴み ドイツがソ連への侵攻を計画している

ことを察知し 駐ドイツ大使の大島浩に 日本がアメリカと戦争に

なってもドイツの支援は得られないと忠告するが ヒトラーに心酔

する大島は 杉原の忠告をまともに取り合おうとはしなかった

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独ソ戦開始後 ドイツはソ連への侵攻計画を漏らした杉原の

国外退去を要求したため ルーマニアへの赴任を命じられる

杉原は大島に対し アメリカと戦争すれば日本は負けると警告し

ルーマニアに向かう

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昭和20年 杉原はソ連軍の捕虜収容所の中で手紙を渡され 

その際に日本の敗戦を知る 子供たちと共に側にいた幸子は

杉原の心情を慮り場を離れ 落ち着いたところで手紙が イリーナ

からの物だと知り中身を確認する 手紙には 杉原が発行した査証

によって多くのユダヤ人たちが救われ 多くの人々の人生を変えた

と書かれており 最後にありがとうと結ばれていた 手紙を読み

終えた杉原は涙を流す

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同じ人をユダヤ救った人で スチーブン・スピルバーグ監督の映画

シンドラーのリストのオスカー・シンドラーさんの救った人数は

約1,100人以上に対し 杉浦千畝さんの救った人数は約6,000

人以上 だが人数だけではなく動機の違いも注目に値する

シンドラーは 後に人助けなんぢゃが当初はお金儲けのため

杉原は 自分の家族が犠牲になるかも知れないという危険も覚悟

の上での人助け

日本では知名度が高くないが イスラエルの人々には 杉原千畝

さんは日本を代表する人物である

この映画は必ず見て頂きたい映画である


http://www.genesis-ot.jp/
3
投稿者:監督
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