カレンダー

2019
June
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

QRコード

過去ログ

カウンター

本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS

鳥羽伏見の戦い

1867年10月13・14日に薩摩藩と長州藩は 将軍慶喜討伐の

詔書を手に入れる これは朝廷が正式に幕府を倒すことを認めたと

いうこと ところが時の将軍慶喜は これに対抗して自分から政権を

朝廷にお返しするという大政奉還を行う これにより薩摩藩と

長州藩の討幕の意味はなくなってしまう しかし朝廷に政権を返還

したというものの 実際は慶喜の政権掌握が続く

クリックすると元のサイズで表示します


一方武力討幕を目指していた勢力は この状況を打破するために

クーデターを起こす 12月9日に薩摩・安芸・尾張・越前・土佐の

兵が御所に押し寄せ門を固める そして明治天皇は 討幕派の

公家や薩摩などの諸侯を引見し 新政府成立の宣言王政復古

大号令を発した これにより幕府は廃止され 総裁・議定・参与の

三職が新たに政権を担う官職として設置 この日の夕刻初の三職

会議が行われ 徳川慶喜に辞官納地を決定する

クリックすると元のサイズで表示します


それでも権力の保持を望む徳川慶喜 そうはさせたくない薩摩藩

1867年12月西郷隆盛は 市中取締担当であった庄内藩の屯所

にまで発砲し ついに旧幕府側は12月25日に薩摩藩邸を襲撃

これこそが西郷の狙いで 旧幕府から戦端を開いたという既成事実

を得ることができた

そして今を遡ること150年前の 1868年1月2日に 旧幕府軍

約一万が京都へ向けて進軍し 伏見奉行所と淀の二手に分かれた

迎え撃つ新政府軍の薩摩 長州勢も同様に伏見方面と鳥羽方面に

分かれて待機 新政府軍の兵力は5000人ほど これは旧幕府軍

の半数以下

1月3日淀の旧幕府軍が鳥羽街道を北上し 鳥羽小枝橋付近に

陣を敷く新政府軍と接触 上洛のために道を開けよという旧幕府軍

に対し新政府軍は拒否 強行突破で進軍を始めた旧幕府軍に 

新政府軍の銃が一斉に発射 不意を突かれた旧幕府軍は大混乱

大きな損害を被り 下鳥羽まで後退を余儀なくされた

いわゆる戊辰戦争の幕開けとなった

クリックすると元のサイズで表示します


最後は東北まで飛び火し 有名になった白虎隊の悲劇まで進んで

いった


http://www.genesis-ot.jp/
5
投稿者:監督
トラックバック(この記事にリンクしている関連ページ)一覧
※送信されたトラックバックは管理人の承認後反映されます。
トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ
AutoPage最新お知らせ