源内の墓がある志度の自性院では、新しい山門が目を引いた。
今年の法要(12月17日)は、ほんとうに寒かったのだが、自性院の本道から山門のほうを見ると、たしかに華やいだ気分になったものだ。
新しい山門には、これから何度も出会うはずなので、去年の法要で撮った古い山門を記念に掲げておく。
去年まで8回の法要のたびに、この門をくぐって帰路に着いた。
それ以外にも、いったい何度この門を出入りしたであろうか。おそらく、100回では、きかないはずだ。
そのたびごとに新たな出会いがあり、新たな発見があった。新しく教えていただいたことも数え切れない。
その一方で、残念ながら幽明境を異にしたかたもおられる。ご冥福を祈りたい。
ものごとには、すべて入口と出口があると、くりかえし述べる現代作家に村上春樹がいる。
そして、100年前に村上春樹の役割をしていたのが夏目漱石だった。
さらにさかのぼること150年。漱石、春樹の位置にいたのが小説家としての源内だった。
文学は、社会から派生し、社会を写しつつ反復される。
そのたびごとの変化が大きいのか小さいのかは、わからない。
250年前の人間や100年前の人間と、現在の人間との差異が大きいか小さいか、誰にも一言では答えられないように。
今年もあと5日。
「源内以外」の記事が多く、羊頭狗肉の気味があった「源内探偵団」であるが、最後に源内に戻ってきたことで少しばかりほっとしている。「駆け込み」めいてはいるのであるが(苦笑)