先日、楽農舎の丸林さんを中心として播磨地区の農家さんが集まって、「
みどりの廃棄物のリサイクル」という試みが為されました。
丸林さんやリビングソイル研究所の西山さんが国土交通省に掛け合っていただいたことから始まって実現しました。私たちが住む地域を流れる川は揖保(いぼ)川といいまして、その河川敷に葦やススキや流木等が流れ着く等して溜まった物を回収し堆肥化して有効活用していこうというものです。主旨としては、各農家に各自近くに捨てられている資源を畑に活用する取り組みを促すというものでもあります。
私たちの社会は、遠くの人が遠くの原料で作ったものをわざわざ遠くから運んでもらってそれを買っている。なのにそれが安ければ安い程喜んで買っています。
沢山の人が関わったはずの物が、沢山のエネルギーが使われて作られたものが安く売られている矛盾、社会の歪みを、私たちの社会はあまり直視しようとしていません。人の手がかかったはずの物であればこそ、それが安いという事には、どこかにからくりや無理があるはずなのです。
大昔から日本人は、知恵を絞って身近にある物を最大限利用して生活してきました。特に農業の分野ではその特性は顕著であったはずです。堆肥や肥料といったものは、ごく身近にある物を使っていたはずです。
農業技術の問題だけではなく、私たちのライフスタイルと密接に関わってくるのです。少しずつ少しずつ、元の暮らしを取り戻していこうという意味でもあると私は思っています。
何台かの軽トラの荷台が山盛りになりました。
それでこの写真は土手に咲いていたアブラナ科の植物です。
西山さんが抜いてみると大根でした。多分増水した時に、上流から流されて来た種が発芽して自生したものなのでしょう。
しかし、これを川の水で洗って食べてみたらこれが旨かった!
丸林さんはこの大根を命名して「揖保川げんき大根や〜!」と高らかに宣言されていました。
まっ、それはともかく(失礼!)、この大根がものすごく骨太な感じで、これっぽっちも病気になってなさそうで、アブラムシの害なんて全くなく、しかも旨いのは確かです。
自生しているんですものね。
面白いのはこの河川敷は元々客土されているということですが、この付近の土が見るからに私の畑よりいい土であるという事。
資材を投じて必死になって農家が圃場の土壌改良をしようと苦心している傍らで、草茫々の畦の方が案外良い土であったりするのと同じ現象がここでも見られますね。
ほんで私は、この「揖保川げんき大根」を何本か抜いて帰って、畑に移植しました。
上手く種が採れるといいのですが。
来年に竹内農園の大根として出せるようになれば最高です。