わが竹内農園の畑を、
裸足んぼ畑、、、
と少々変わった名前で銘打っておりますが、そういえば、その説明を今までしておりませんでした。
裸足んぼ畑とは、畑を子供が歩き回るのに裸足で遊んで回れることをイメージして名付けた部分もあるんですが、実はもう一つ、私たちにとって大切な意味があるのでお話したいと思います。
私たちが、自分たち家族の食べる物、お客様に買っていただくお野菜を作る畑を、何故裸足んぼ畑と名付けたのかは、少し経緯があります。
今現在お借りしている畑とは違い、私たちは実は違う畑を所持していました。そこを去ったことはいつか時間がたってまたここに書いたりすることがあるかもしれませんが、今は話が逸れますので伏せておきます。
その立ち去った畑を、私が耕していた頃のことなんです。普通畑はあまり石がごろごろしていないことが理想なんですが、その畑は小さな小石なんかは当たり前で、片手で持つには少し重いような大きな石が割合に多く出てくる畑でありました。
きっと、以前にその畑を借りていた方が、深く畑を掘り起こしたりしたことが理由と思われますが、まあそれは石を一つ一つ除けていく作業をしていけば良いだけで、別段私は気にもとめていなかったのでした。
しかし困ったのは、畑の中から何故か、プラスチックやビニールや金属などが、ぼろぼろと出てくるのです。産業廃棄物とかそんな大袈裟に言うほどではないのですが、畑のどこをかじいてもバラバラと出てくるのです。
私は、大小の石を拾う以外に、ごみを拾って入れるためのごみ箱を持って、備中鍬で畑を起こして回りました。そういう作業を農業の研修を受けていた一年間に、少しずつやっておりました。
その作業の合間、ずっと私の頭の片隅にあったのは、
畑というものは、作付けをしないで草をたくさん生やしてしまったりすると、一般的に「あそこの畑は荒れてしまった」なんて言ったりするのをよく聞いたりするんですが、それと比べていったいこの畑はどうなんだろう。
草が生えているのと、地中にプラスチック片や、ビニールや金属屑が混じっていたりするのと、果たしてどちらが荒れてしまっていると言えるのだろうか。
先祖代々の畑に草がたくさん生えているとかいう事は、私にとっては問題ではなく、後の時代に遺していかなければならないかけがえのない土地に、本来あるはずのないもので畑の中が汚れてしまっていることの方が、「荒れて」しまっているようにしか思えませんでした。
そのゴミたちの元の姿は、全部、現代の農業資材や家庭用品だったのです。
皆さんが実際よく畑で見る一般的な風景に、透明なビニールで畝の上にトンネルを作ったり、黒いビニールで、畑を覆っているのがあると思います。これらのビニールの切れ端。
上へ伸びる草花の幹を支える支柱、竹風に装われていますが、樹脂が被膜してある鋼材の支柱です。この支柱の折れてちぎれたもの。
烏やハトを除けるために、畑の中にぶらぶらと下がっているプラスチックのCDが割れて、危険な端切れがあったり。
その他にプラスチックの支柱やビニールマルチの止め具、ナイロンの紐の切れ端。たばこの吸い殻。栄養剤のビン。
それから、なにやら判別のつかない焼けただれて変質した化学合成物が土と一緒こたに固まっていたり、とにかくがっかりするものが掘り起こせば直ぐに出てくるのです。
都会では野焼きはご法度になっていますが、農村部ではみんな普通に野焼きは行われています。私は野焼きがいけないなんてお触れが出ているのは間違いであると昔から思っています。野焼きは、私たちが心に沁みる昔ながらの風景です。枯葉が音を立てて燃える姿や匂いはなんともいいものです。
ところが、その火を使う人が分別の無い人だったりすると、結局はこの畑のようになってしまいます。
野菜は単なる商品となる生産物ではなく、私たちの身体を形作るかけがえのない生産物なのです。商品としての観点でも、畑や田んぼで生産する野菜や米は、工場で製造する工業製品とは違うものです。米や野菜が生産されるその土壌自体が、私たちの肉体を形作る栄養であり、礎であるのです。女性が種を宿って子供を胎内で守り育てていくのと同様、田畑の土は、やがては私たちの子孫が生まれ育っていく土壌であるのです。
その母なる土壌に、現代農業は臆面もなく農業資材などやごみを混ぜ込んでしまう。私は、悔しかったのですが、今更誰を責めても仕方がないと思ってその畑のゴミを拾い続けました。先祖代々の畑だと思えば今でも愛着があるわけですし、そんな気の遠くなる作業も、それができるのは自分のような馬鹿者一人しかいないと思って拾い続けました。
結局、最後はその畑から去らざるを得なくなりましたが、この経験が、「裸足んぼ畑」の名付けに繋がっていくのでした。
私たちは、家の中を綺麗にしようとします。例え汚くても、綺麗にしておきたいと心の中では思います。
家の中を裸足であがるのは、安心できるかけがえのない自分の家であるからです。そこは清められた空間であるからです。
家の中にたばこの吸い殻を捨てません。後の世代の人間が困るようなごみ屑を家の中に捨てません。敷地の中で、ダイオキシンを出し続けるようなごみを焼いて、困るのは自分の子供や孫の世代です。
「裸足んぼ畑」とは、そういう後の時代の子や孫たちにプラスでもなくマイナスでもない、大昔から連綿と継承されているはずの田んぼや畑の利用の仕方を表わすものとして名付けたのでした。
まあ、そういった意味なのでした。
時々イベントなんかで、裸んぼ畑?と恥ずかしそうに言われることもあるんですが、、、裸足んぼ畑ですからね。
それではこれからも「裸足んぼ畑 竹内農園」をよろしくお願いいたします。