1月から時間があったら落ち葉拾いと草集めに明け暮れていましたが、
山の際に溜まった半分堆肥化した土も勿体無いので別に集めて畑にストックしていました。
でも山には広葉樹や針葉樹色々と生えていますから落ち葉堆肥も色々な葉っぱや小枝が混じっています。
懸念すべき事項もあるので畑で暫く積み上げて置きます。
そして今日は葦が堆肥化したものを上に載せました。
何がどう作用するのかやってみないと私にはわかりませんが、半年後の苗土になってくれたら万々歳です。
何故苗土作りに一生懸命になっているかといいますと、
苗土は、資材屋さんから買うとなると、これが案外馬鹿にならない出費になります。私は就農にあたって借金をしないと決めていましたので、経費はとにかく少なくしたい。一年目は研修の時に習ったように苗土を買っていましたが、経費の面もさる事ながら、買った土の放射性物質による汚染も心配でした。そして苗土には微量ながら肥料成分が配合してあるのですが、有機培土と言ったって何が入っているかわかったもんじゃない。どんな材料で作られたものか分からない物にお金を出すことに不安を感じていました。そんなわけで、2年目はうちの畑のだんだん良くなってきている畝の土を集めてきて、それで苗作りをしていました。
そんな折、リビングソイル研究所の西山さんがうちの畑に来てくれた時に、私に言ってくれた言葉があったのです。
「いろいろ農家回ってるんですが苗土を作っている農家が少ないんでびっくりしましたよ」
私には耳が痛い言葉でした。ちょうど自分も気にしていた時だったので、穴があったら入りたい気分でした。そこで後日、実際に苗土作りをしている西山さんの事務所を訪ねて、堆肥を作っている現場を見させていただきました。その日は大切な苗土もたくさんいただいて帰り、その後の苗作りに使わせてもらいました。その苗土は、西山さんらしく腐葉土・剪定チップ・河川敷の葦や草・草刈りで集まった刈り草など、それぞれ何が主体の材料か、またどれだけの時間をかけて作られたものかを区別して置いてあったものです。どれもこれも私がかつて触ったことのある資材屋さんの苗土とは違い、手に取ってみると何か嬉しさが込み上げてくるような感触で、もらったから持ち上げているのではなく、これはもう実際に触らない伝えられない感動でありました。
この土なら安心だ!本当にそう思えるものでした。
こうなればとにもかくにも苗土を自分で作りたい。そうでなければ前に進めないので、とにかくすぐに雑草生え放題の我が畑の草を集めて、取りあえず第一弾の刈草を積み上げてみました。堆肥化するまでとにかく時間をかけなければならないので今は熟成中です。時々切り替えしをしてみると、もうしっかりと変質してきています。今年の中ごろにはこれも立派に堆肥になっている事でしょう。
そして、この方。
ひょうごの在来種保存会の山根成人さんが、模索の会で仰られていた言葉に、
「昔はどこの畑でも堆肥の山があったのに、今の農家にはそれが無い。金が無いっちゅう若い農家まで堆肥を作りよらん。播磨でちゃんと堆肥を作っているのはのりふと(農園さん)のとこだけやっ。金が無い奴に限って金を使おうとする。」
その場に居合わした模索の会の若い衆は概ね押し黙ったままです。当然私もそうでした。農業技術を教わるよりも、抽象的な私たちの生きる指針になる言葉こそ先輩からいただける財産です。
また別の方のお言葉。
去年西山さんに連れられて京丹後市の梅本農園さんに行って畑を見させていただいた時に、延々と広がる熟成中の堆肥の山を見ながら言っていただいたお言葉。
「皆さんは夏に茄子の剪定をしますか?その時間があったら、山に行くべきです。河川敷に行って草を集めるべきです。」
梅本さんの畑は畝の上に大量の枯れ草を積んでいます。畝の上で堆肥を作るわけです。流れ落ちる分解液は畝の下に沁みこみます。刈り草は一つも無駄にならず畝の上に良質の土となって積み重なっていきます。去年私の畑でしていた畝上畝間に生える草は刈り倒すといったレベルのものではありませんでした。本物の土を作るという作業を見た思いでした。
苗土を作ることから端を発して、堆肥作り、そして畑の土作りへときて、何が良くて何がいけないのか、まだまだ分からないことがいっぱいなのですが、人からいただいた言葉から、実感として私が進みたい方向にやっと一歩踏み出せた思いです。
農薬も、化学肥料も、また除草剤も使わないというのは立派なことでも特別なことでもありません。普通の事です。
確実に言えることは、その普通の事をするのに必要なものは、補助金でも資金でもなく、私たちの情熱と労力というとこでしょうか。