〈追記:2月6日〉
どへえええええ、なな何と、佐村河内守さんの曲は、
別人の作曲家が影武者で書いていたことが発覚しますた。
しかもしかも、聴覚が全くない、というのも虚偽だったみたいだし
ピアノも初歩的くらいにしか弾けないと。
うわああ! すご過ぎる。
ちょっとやそっとのウソじゃないや。
ゴーストライターの人が 「もうやめたい」 と言ったら
「妻といっしょに自殺する」 と脅してたらしいから
やめられなかったそうですが、それもひど過ぎ。
ひとの善意や良心や夢を
ぜんぶ打ち壊してしまうような悲しい話だ。。。
まあ、私は怒る筋合いではないけれど
CDを購入したり、コンサートに足を運んだりしたかた、
何よりレコード会社や出版社や、かれを盛り立て力になってきたかたがたにとっては、悪夢のような話ですよね。 うぬぬぬ。
聞けば、あの「鬼武者」からすでにそうだったと・・・
うわあ、残念。 ぐぬぬぬぬぬ。
まぁあんとき、確かに
ウチで譜面待ちをしていたら、主催者から
「作曲家ではなく、アシスタントのほうからFAXします」
とは言われました。 清書してるんかと思ったよ。
すべての人たちと同じく、まんまとだまされました。
今となればチョー恥ずかしいけれど、これも記録だ。残しておこう。

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作曲家の佐村河内守(さむらごうちまもる) さんのことを書きまつ。

彼は子供のときに作曲家をこころざし、いろんな楽器を習い
作曲法をめちゃ勉強し、ものすげえ研鑽を重ねてきたそうでつ。
ところが18才のときに原因不明の病気を発症し、
聴覚障害とはげしい耳鳴り、頭痛や嘔吐の発作で
苦しみの日々が始まったのです。
それでも作曲への情熱と執念が実を結び、
1999年にゲーム「鬼武者」の音楽を依頼されました。
ところがまさにそのとき、ついに耳がまったく聞こえなくなりました。
耳の聞こえない作曲家・・・ まさにベートーベンだなや。。
それでもかれは必死に、アタマの中に鳴る音をつないでつないで
交響曲を書き上げたのです。

実はわたし、その時の公開録音で三味線を弾いてました。
鬼武者のテーマ、「Rising Sun」。
100人近い 洋楽と邦楽の大オーケストラでした。
わお、無名の作曲家ながら、すんげえカッコええ曲だあ!
迫力あって、スピード感あって、涙の出るよな美しいメロディ!
と、コーフンしたのを覚えてます。
ところが、演奏が終わって 華々しい舞台に登場したかれは
まったく笑顔もなく、ひとことも話さず、
顔をゆがめて自分の耳を指さすばかり。
あらま? このシト いったいどうしたんでしょ? ほえほえ?
と思ってたんだけど、
後から知ったのは、そのとき彼は
死にたくなるほどの絶望の中にいたそうです。
自分が作曲した音楽の、生の音を聴くことができない。
作曲家にとって、
こんなつらい、身を切るようなことがあるじゃろうかー
くやしいだろなー 悲しいだろなー うううう
今も彼は、日々 轟音のような耳鳴りを抱え
ボイラー室にいるような巨大なノイズの中から
音を拾い上げ つむぎ出していく、という作業をしています。
太陽の光が発作をさそうので、部屋は暗く閉ざされたまま。
幼い頃からの厳しい研鑽によって培った積み重ねの
音楽の技術、作曲法や絶対音感だけを頼りに・・・ うひゃあああ
「交響曲ヒロシマ」や、東日本大震災被災者への「レクイエム」や
最近では 映画音楽と、止むことなく曲を生み出しています。
その力となったのは、子どもたちとのふれあいだそうです。
(障害のある子どもたちの施設で音楽を教えてたりしている)
子どもたちと 「光の交換」 をして
それが彼の、闇を照らす光となっているとのこと。
かつて私も1回だけ音楽人生が交わった、
佐村河内さんの、壮絶な人生です。
すご過ぎて、私には何もことばが見つかりません〜〜
命を削って音楽を創りだしているように思えてしまうけど
でも、ただただ、生き続けてほしいです。
音楽を力に、味方にして、そしてそれを産み出すひととして。