ようこそ、お入りを・・・。

2012/11/30

11月稽古場 6  稽古

今日の研究会は
いつものように午後1時より始めましたが
皆さんとお稽古に集中していましたら
いつのまにか時間がたっていて
終わって時計を見たら6時半

おもてはすっかり暗くなっていました

皆様 長時間お疲れさまでした


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「閑坐聴松風」
前大徳文雅師 


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初炭

今日は
先日師匠から教えていただいた
「半田を使わない炭所望」の稽古をしていただきました



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唐物 真


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四滴茶入の扱い
今日は油滴を使いました


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後炭は
香合を灰匙に乗せて・・・


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台天目


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主菓子 霜見月



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2012/11/30

「茶道の哲学」【露地草庵】より  座右の書
露地とは
ただ茶席に至る通路という地理的な意味だけではなく
そこを通ることによって
心地を露わにするという
超現実的・出世間的・宗教的なものでなければならない


草庵は
俗塵を払って清浄静寂なる仏心を体得し
それを行じ 表現する場である


「露地草庵に入る」とは
寂数寄の茶道に入るということであり
単に飲食・娯楽・ものずき・趣味・風流のためではない


(以下 今日の茶道への批判・・・)

名聞茶・利欲茶・嫁入り支度茶・嗜好茶・道具茶

遊閑茶・交際茶・趣味教養茶・技芸茶・権勢茶・型茶・職業茶



以上
「茶道の哲学」久松真一(講談社学術文庫)
P66〜83からの抜粋です

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2012/11/29

「茶道の哲学」【茶道文化の性格】より  座右の書
茶道文化の7つの性格

@不均斉

茶道具おいて
均斉のとれないところにある
味わい 面白味


不均斉は
言い換えれば「数奇」であり
「奇」は「奇数」とも解釈され
割り切れない半端である


不均斉とは
完全を通り越したところからの
完全の否定 完全を崩すことである


A簡素

くどくどしくない 単純 さっぱりしている  素朴

枯淡 寂び  清楚 軽み

稚拙さ  ごつごつした  おどおどした


B枯高

なまなましくない  たける   ふける

時代を経た 年功を経たもの

さび  渋み  気高さ 男性的


C自然(じねん)

無心  わざとらしくない  素直 作意がない


D幽玄

奥ゆかしさ  余情

落ち着きのあるしっとりとした陰翳のある暗さ

重々しさ


E脱俗

単に世間を離れるということではなく
心を清めてそれからまた
世間に出てはたらくのでなければならない


規矩準縄に拘わらぬところ


F静寂

落ち着き 静かさ 内に向けられた精神

静かさが動いているという感を与えるような
「静中の動」が大切




以上7つの性格全てが備わっていなければ
茶道文化とはいえない


「無」がひとの内に生きてきたときに
人は茶人となる

茶道によって人間の道を行ずるのであって
単なる趣味や道楽ならやめておいた方がよい

以上
「茶道の哲学」久松真一(講談社学術文庫)
P55〜P65からの抜粋です

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2012/11/29

「茶道の哲学」【茶道文化の性格】より  座右の書
茶道は
他に類を見ない大きな総合的文化体系を成している

@芸術
 
建築としての茶室

庭園としての露地

工芸品としての道具 美術品

動作の美としての作法


A道徳

茶道の規矩には
普通の人が気づかぬような繊細な思い遣りが含まれていて
それを見るとそういう規矩を作った人の心がしみじみと仰がれる


茶においては
日常生活では思い及ばないような行き届いた道徳がある


客に対する心入れは作法の根本であり
作法はその心の現れた形式である


B哲学

『南坊録』には深い哲学があり
『禅茶録』はその哲学を体系づけたものといえる


C宗教

茶道には茶道の悟りがある

宗教が日本茶道文化の根柢になっている

以上
「茶道の哲学」久松真一(講談社学術文庫)
P52〜P55からの抜粋です

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2012/11/29

「茶道の哲学」【茶道における人間形成】より  座右の書
茶道は禅の化身である


我々が自由になるとか解脱するとかいうことは
形のある人間から
形のない無相の人間となることであり
無相の自己が
本来の自己である


善も思わず悪も思わない時が
人間本来のあり方である



本来の自己においては
価値・反価値とか
存在・非存在とかいうものは
全くない



禅において
仏とは自覚であり
外に求めることのできるものではない



無相の形のない自己が自覚されることに
茶道における人間形成がある


掴むものがなくなった時に
初めてそれが掴める



茶道の一番の根源 究極の目的は
仏法を修行し得道することであり
茶道において
その仏法は禅である


茶道の第一の目的は人間形成であり
そのような人間形成が茶道文化を生んだ


本来の茶道とは
無相の自己の自己形成 すなわち自己表現の場であり
独自な有形無形の文化財創造の場である


以上
「茶道の哲学」久松真一(講談社学術文庫)
P29〜P51からの抜粋です

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