ようこそ、お入りを・・・。

2020/2/20

2月稽古場 4  稽古

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「弄花香満衣」
前大徳泰道師


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二重棚 組合点て


今日の午後に来られた三人は
夫々にお弟子さんや生徒さんを持って
茶道の指導をなさっています


指導する場において
先生も迷ったり悩んだりすることが
あるのは当然だと思います


私も
茶道教室を始めてから今まで
思えば色々な経験をさせていただいたことで
茶道の指導者としての不安や悩みは
手に取るようによくわかります


私自身そのような悩みをかかえて
師匠にお話しして道を示していただいたことも
何度かあります


悩んだり落ち込んだりするということは
それだけ真剣に取り組んでいることの
証ではないでしょうか


そして
その一見マイナスに見えるエネルギーは
自身が古い殻を破ってさらに成長するための
エネルギーの源となってきたような気がします



つい最近も
少し落ち込んでいた私ですが
そこを気持ちの上で乗り越えた今
少し器が大きくなったかな?と思います



どこまでいっても
いつまでたっても
修行の身ですが

今日をそして今を
誠心誠意
感謝の心で生きていたいと思います





18

2020/2/19

2月稽古場 3  稽古

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前大徳一甫師「好日」

毎日毎日がかけがえのない最良の日

人生には晴れの日もあれば雨の日も
また
楽しい日もあれば 悲しくて辛い日もある

しかし
どんな時にもそれをよき日として
受け取ることができれば
一日一日が「好日」となる

今日ただ今を一生懸命生きなさい

という教えです



90歳の義父が
医師から余命宣告を受け
病床にあってなおジョークで周りを和ませ

「もう十分生きた。幸せな人生だった。」と

静かにお迎えを待っています



義父にとっては
その最期の日も
きっと「好日」なのだろう・・と
私は思っています


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二重棚  茶筅飾



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主菓子 初音  鼓月製



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干菓子  からす煎餅  伊勢めぐり

先日お伊勢参りと熊野詣でにでかけて
買ってきたお土産です




17

2020/2/17

椿大神社 鈴松庵  美術館・お茶室

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三重県鈴鹿市の
椿大神社(つばきおおかみやしろ)に
松下幸之助さんが寄進された
「鈴松庵」というお茶室があります


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お菓子の御銘  雪中梅


写真ではわかりにくいですが
お皿は深みのある瑠璃色をしています

万古焼なのだそうです

このお皿は持って帰ることができます


以前にも二回ほど訪れたことがありますが
その時にいただいたのは
瀬戸焼で白いお皿とピンク色のお皿でした


毎年お皿の色が違うそうで
次回訪れるのがまた楽しみです







12

2020/2/13

2月稽古場 2  稽古

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「一花開天下春」
東大寺長老寛秀師

今日は
お昼間は一気に気温が上がり
茶室に差し込む光の輝きにも
春の訪れが実感されました


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お弟子さん達の楽しげな会話や笑い声が
茶室にコロコロと華やいで
気分も一層明るくなってきましたよ

正に

一花開いて天下の春到来!



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主菓子 梅の香  鼓月製


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干菓子 雪たる満  


岐阜の老舗
奈良屋本店さんの銘菓です


先日訪れたお茶会のご亭主から
頂戴いたしました

とても愛らしいですね!



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2020/2/9

心の文  つれづれ
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奈良八窓庵(2019年2月6日撮影)

奈良で開かれていた大茶会
第7回珠光茶会は
今日で終わりました


先日奈良八窓庵席を
お手伝いさせていただいた日から
村田珠光の「心の文」について
ずっと考えていました


「心の文」については
表千家ホームページのこちら
わかりやすく解説されています

「此の道第一わろきことは心の我慢我執なり」

つまり
お茶の道にとって
一番悪いことは
「我こそは」と慢心したり
自分に執着して我を張ることだと
書かれています


でも
「心の文」の最後には

「かまんなくてもならぬ道也」と書いてあり

「茶の道は
我こそはと思う気持がなくても成就しない道である」とも
言っているのです

一見矛盾するその答えは

「心の師とハなれ 心を師とせされ」という
言葉の中にあるのだと
表千家ホームページにも
解説されています

本当に
この「心」というのは
難しいです

「心の師」になるとは
心で何かが感じられても
それに流されることなく
自分を律するということでしょうか


しかし頭では
「○○○○」と考えているつもりでも

目の前に起こっている
△△△△の現象に対して

心は勝手に暴走していきます
そして
心で感じていることと
頭で考えようとしていることとのアンバランスが
無意識のうちにストレスとなって

時には身体が悲鳴をあげることも
あるような気がします



「心の師」になるのは難しい。。。

そんなことを思いながら
今日はふと老子の教えを説いた
ある本を手に取って開いてみました


そこに
こんな一文がありました


「人間は現実を見ているようで
現実を見てはいない

自己の世界を見ているに過ぎないのである

原因は外にあるのではない

今までの体験で積み重なった観念のフィルターで
人は世界を体験する

現実を体験しているようで
真の現実は体験していないのである」

なんだかハッとしました


私が「目の前に起こっている△△△△」と
思っていたことは
真の現実ではなく
「私」というフィルターを通して
私自身が作り上げた虚像だったのかもしれない


そうであるなら
私が「見た」と思った《現実》は
正に自作自演の茶番劇

その茶番劇に「心」を奪われるなんて
本当に馬鹿げている・・・


つまらないことは忘れて
もっとワクワクすることを考えましょう


こんな風に考えたら
少し心がスッキリとしてきました


村田珠光の時代に限らず
古今東西
人は悩みながら
より良い人生を生きるために
答えを求めていたのでしょうね


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