ようこそ、お入りを・・・。

2020/2/9

心の文  つれづれ
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奈良八窓庵(2019年2月6日撮影)

奈良で開かれていた大茶会
第7回珠光茶会は
今日で終わりました


先日奈良八窓庵席を
お手伝いさせていただいた日から
村田珠光の「心の文」について
ずっと考えていました


「心の文」については
表千家ホームページのこちら
わかりやすく解説されています

「此の道第一わろきことは心の我慢我執なり」

つまり
お茶の道にとって
一番悪いことは
「我こそは」と慢心したり
自分に執着して我を張ることだと
書かれています


でも
「心の文」の最後には

「かまんなくてもならぬ道也」と書いてあり

「茶の道は
我こそはと思う気持がなくても成就しない道である」とも
言っているのです

一見矛盾するその答えは

「心の師とハなれ 心を師とせされ」という
言葉の中にあるのだと
表千家ホームページにも
解説されています

本当に
この「心」というのは
難しいです

「心の師」になるとは
心で何かが感じられても
それに流されることなく
自分を律するということでしょうか


しかし頭では
「○○○○」と考えているつもりでも

目の前に起こっている
△△△△の現象に対して

心は勝手に暴走していきます
そして
心で感じていることと
頭で考えようとしていることとのアンバランスが
無意識のうちにストレスとなって

時には身体が悲鳴をあげることも
あるような気がします



「心の師」になるのは難しい。。。

そんなことを思いながら
今日はふと老子の教えを説いた
ある本を手に取って開いてみました


そこに
こんな一文がありました


「人間は現実を見ているようで
現実を見てはいない

自己の世界を見ているに過ぎないのである

原因は外にあるのではない

今までの体験で積み重なった観念のフィルターで
人は世界を体験する

現実を体験しているようで
真の現実は体験していないのである」

なんだかハッとしました


私が「目の前に起こっている△△△△」と
思っていたことは
真の現実ではなく
「私」というフィルターを通して
私自身が作り上げた虚像だったのかもしれない


そうであるなら
私が「見た」と思った《現実》は
正に自作自演の茶番劇

その茶番劇に「心」を奪われるなんて
本当に馬鹿げている・・・


つまらないことは忘れて
もっとワクワクすることを考えましょう


こんな風に考えたら
少し心がスッキリとしてきました


村田珠光の時代に限らず
古今東西
人は悩みながら
より良い人生を生きるために
答えを求めていたのでしょうね


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