ようこそ、お入りを・・・。

2020/11/28

小間の茶事  玄庵と茶事(GHP)

本日は
自宅の小間「玄庵」に
社中のお二人をお招きしました



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茶室の扁額を見上げ
この一会を見守っていただけるよう
祈ります


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懐石の下ごしらえは
できる限り前日にしておきます


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席を披いてからちょうど一年が過ぎ
露地の苔が伸びたところと
茶色く枯れてしまった箇所があります



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今日の煮物椀は
牡蠣真薯にしました



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主菓子 紅葉重ね  虎屋製



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干菓子  曲水の宴  鶴屋徳満製


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今日の濃茶は
重ね茶碗で各服点てにしました

今だかつてしたことの無い点前です

八寸の時の盃の応酬も
遠慮いたしましたm(__)m

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2020/11/25

11月稽古場 6  稽古【洗心会】

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「無事」
大徳寺黄梅院太玄師


何事も起こらないこと
人は本来的に仏であり
求めるべき仏も
行うべき道もないということ

無造作・平常(びょうじょう)の意



(「茶席の禅語大辞典」より)


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昨年飾物のお免状をいただかれた方に
今日は茶杓飾の稽古をしていただきました



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日の暮れるのが本当に早くなりました

午後のお稽古が終わる頃には
すっかり暗くなってしまいました


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2020/11/19

11月稽古場 5  稽古【洗心会】

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「松無古今色」
當麻寺中之坊貫主 實秀師

今日は
小春日和というよりも
季節外れと言った方がいいような
暑ささえ感じる一日でした


予定では5名の方が
来られることになっていましたが
お子様の体調不良のために
お二人の方から
ご欠席の連絡が入りました


気候の不順で
人も草木もリズムが崩れがちですね


体調不良は
少し止まって休みなさいのサイン


どうぞお大事に。。。




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今日はそういうわけで
三名の方がお越しになり
晩秋の一日
朝からお昼過ぎまで
色々お話をしながら
ゆったりとお稽古をいたしました


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今月より
この「表千家流歴代茶杓」を
毎月お稽古に使っていくことにします


右側の太い筒に
千利休から而妙斎宗匠までの
歴代家元好みの形に削られた14本の茶杓が
入っています


その月にご命日や何か縁のあるお方の茶杓を
使っていこうと思いましたが
調べてみると
6月から8月の暑い季節に亡くなられている方が多く
11月にはどの方のご命日もありませんでした
それで
「11代家元」ということに因んで
今月は碌々斎の茶杓を使うことにしました

碌々斎は
幕末から明治という
大きな時代変化の波にのまれ
茶道が衰退していく中

初めて北野天満宮などで献茶奉仕を行い
明治天皇にお茶を献ずるなど
茶道の権威を取り戻すと共に
全国各地に出向いて
茶道の普及に尽力されたといいます

不審菴11代碌々斎の生きた時代に思いを馳せながら
茶杓を手に取ると
その特徴的な形に
あらためて力強さが感じられます

お稽古では
拝見道具のおたずねの時
いつも茶杓の銘を
各自考えてつけていただいています


今日の三名の付けられたのは

「敷松葉」「颯々」「落ち穂」


それぞれに風情あり
味わい深く聞かせていただきました




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主菓子 羊羹 銘秋襲(あきがさね) 鶴屋吉信製



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干菓子  くす玉 ばいこう堂製


今日は紙包みのままお出ししました

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2020/11/18

濃茶の各服点てで思ったこと  つれづれ
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今日は岡山のお稽古場に行ってきました

目にも鮮やかな紅葉を見上げながら
あっという間に過ぎていった
この一年を思いました

ちょうど一年前には
玄庵の席披きをいたしました


正直
「去年でよかった。。。」と
つくづく思います


家の外に一歩出れば
マスク着用が必須となった現在ですが
今朝の新幹線の中は
修学旅行生とGOTOトラベルの団体さんで
隣も前後もいっぱいでした!


何だか不思議なことだらけの一年でした


そして
お茶の世界では
濃茶の飲み回しは禁止!?


この状態は
いつまで続くのでしょうね・・・


今日のお稽古場では
濃茶の稽古にお客様5名


正客に入って下さいとすすめられて
まずは私一人一服点てで濃茶をいただきました


その後は
半東さんが水屋で一人分だけ
お茶を入れたお茶碗を持ち出し
亭主が点前座で一服ずつ点てて下さいました


私は飲んだお茶碗をとりあえず仮置きし
次客以降がお茶を飲み終わるのを
しばらく待っていました


お茶銘・お詰をお尋ねするのは
やはり亭主が全て点て終わってからになります


その間
結構長い時間じっと待ちました


点前に時間がかかって
濃茶の高揚した気分を持続させることが難しく
しかも
一人ずつ違う茶碗でいただくことからは
当然ながら連客との一体感は薄くなると感じました


こういったことは
頭では容易に想像がつくことですが
実際に体験してみて

四百年以上前
利休の始めた「すい茶」つまり「飲み回し」が
いかに素晴らしいことであるのか
あらためて実感することができました



どんなことにも
光を当てればそこから良きことが見えてきます


飲み回しのできない今を経験して初めて
飲み回しをすることの意義を実感できたことは
私にとっては
とても大きな生きた学びとなりました


全ての人が何の怖れもなく
濃茶を飲み回しできる日が
今後お茶を続けていく日々の中に
訪れるのか訪れないのか
それは私にもわかりません


それでも
コロナ禍という思いもよらない事件のおかげで
濃茶を飲み回すことの素晴らしさを
今の時代に実感できたことを
私は幸せに思うことにいたします


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2020/11/13

何を習うかより誰に習うか!?  つれづれ
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昨日の稽古場で
以前家元の天然忌に行かせていただいた折
ある宗匠が仰った言葉が話題になりました


新席に掛けられた
大龍和尚筆「仏祖正脈」のご説明をして
いただいた時のことです


「何を習ったかよりも『誰に習ったか?』ということが大事なんです」


という言葉を耳にしました


その場は一同苦笑いで楽しくお聞きしたのですが
私には正直
その言葉の真意がどこにあるのか
わからないまま
しばらく胸の奥でくすぶっていました

同席したお弟子さんたちも
この言葉には少なからず衝撃を受けられたようでした


「皆さんはどこで何を習ってきたのか知りませんがね
お茶を習うのでしたら
私のようなエライ先生につかなければ意味無いですよ」


その宗匠がまさかそんなことを仰ったとは思えませんが
一瞬ドキリとしました


なぜなら
私は家元直々にお習いしていませんし
同門会などで活躍しているわけでもなく
ほんの2回大寄せ茶会は経験させていただきましたが
あちこちで釜を懸けられるような
いわゆる”力のある先生”でもありません


時には
お弟子さんが外で肩身の狭い思いをすることも
あるような気がして
申し訳なく思うこともあります


それでも
そんな私のような無名の”町の先生”に
熱心についてきて下さるお弟子さん達がいることに
いつも感謝しています

私にとってはそのお弟子さん達が
唯一誇れる宝です


「この先生にお茶を習ってよかった」


ご縁あって
私のもとで精進なさっているお弟子さんに
心底そう思っていただけるよう
ひたすらお茶の道を求めて
自分らしく邁進していきたいと常々思っています


ところで
先日他のお流儀の方からこんなことを聞かれました

「私の流儀では
つく先生によって教える内容がすごく違うのですが
表千家さんではどうですか?」


それに対し
私はこのようにお返事させていただきました


「確かに表千家でも
宗匠方によって仰ることが少しずつ違います
けれでも表千家では
その色々ある流れの
どれが正しくてどれが間違っていると言うことはなく
その全てをのみこんだ大きな流れを『表千家流』と
考えているのだとお聞きしています」


彼女は少し不思議そうに
「ふうん・・・」と仰っていました


さて冒頭の
「何を習ったかよりも『誰に習ったか?』ということが大事なんです」

これを仰った宗匠の真意は
もしかしたら
このことに関係あるのではないでしょうか


つまり
私達がお茶を習う先生には
必ずその先生が習われた先生が存在し
その先生にもまた
師事された先生が存在し・・・と
どの人にも
家系図のようにたどっていくことのできる流脈があるはずです


教えられる内容には
その流れによって多少違いはありますが
大切なことは
その中味の間違い探しを云々することではなく
自分に注ぎこんでいるその流脈です


『自分に縁のあった
その流れに意味があるのです
ご自分の習っている
その先生の教えを大切にしなさい』


「何を習ったかよりも『誰に習ったか?』ということが大事なんです」


この言葉を通して
宗匠が伝えようとされたのは
もしかしたらこのだったのかなと
今になってあらためて気づきました



ですから
もし色々なお流儀や
同じ流儀でも異なる先生に習っている方々と
お作法が違っているとしても
それを当たり前のこととして
むしろ豊かさとして受け止める心が
必要です

そして
例えば違う考えの方と協力して
お茶会を催さなければならないような場面では

まずは相手の方の流脈を尊重し
たとえ自分の思いとは異なっていても

「あなたの意見に従いましょう」と
仰ったらいいのではないでしょうか

これは勝ち負けとかいったことではありません

でもその上で
もし求められたならば
同意されるかされないかは別にして
「私はこのように習いました」と
堂々と自信を持ってお伝えしてみてはいかがでしょう


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