ようこそ、お入りを・・・。

2020/4/19

「利休 わび茶の世界」新しい学び  座右の書

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「利休 わび茶の世界」
久田宗也 

先日手元に届いたこの本を
あらためて読み返すと

まるで目の前に久田宗匠が座られて
こちらを向いてお話下さっているかのような
親しみが行間から随所に感じられ

そのお考えや姿勢に共感し
思わず笑みがこぼれるほどです


その具体的な内容は
是非御本を注文するか図書館で探すかなさって
ご自身で読んで体感なさってくださいませ


ここでは
特に私が今回この本で学んだ新しい発見について
簡単に書かせていただきたいと思います


まずは
先の記事にも書きましたが
濃茶の飲み回しのこと

もう一つは
「小間」という呼び方のルーツとして考えられることに
「高麗カコイ」これを「こまカコイ」と読むことができること

それから
「利休形」と「利休好み」の意味

「利休形」とは・・・
利休の創意によらず
むしろ多数の人々のふだんの暮しの中で生み出され
使われてきた品から
利休が選び出し見立てて茶の道具としたもの

「利休好み」とは・・・
利休がみずから意匠し指図して作らせたもの
利休の創意になる道具
また茶室をはじめ織物とか
作法手順までも広く含めて使われる言葉


最後に。。。

宗匠が
「茶の師匠として叱られそうであるから」
と控えめに添えられた
「客の作法」のお道具を拝見し

個人的に不思議な巡り合わせを感じて
驚いています

この話は
ここでは秘話とさせていただきますm(__)m


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久田宗匠様

このような御本を後世に残して下さり
本当にありがとうございました

ゆくりなくも
これから小間での
わび茶の世界を深めていきたい今この時期に
御本を通して宗匠の教えに出会えたことを
心より感謝いたします


座右の書として
大切にさせていただきます



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2020/4/18

「利休 わび茶の世界」久田宗匠のこと  座右の書

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「利休 わび茶の世界」
久田宗也 日本放送出版協会

先日旅先で偶然その存在を知った
この本を
amazonで注文していたら
早速届きました


あらためて序文を読むと
その文章から
久田宗也宗匠の誠実で謙虚なお人柄が伝わってきました

私は久田宗匠に直接教えを受けたこともなければ
お話をさせていただいたこともありませんが

ほんの一言だけ
言葉を交わしたことがありました


実は今からほぼ二十年くらい前
東大寺の献茶の副釜を手伝っていた日のことです



「お手洗いは?」

「はい こちらです」


これだけです・・・


その日お家元に随行しておられた久田宗匠が
たまさかお堂の裏のお手洗いの側に立っていた私に
お尋ねになったのです

私はその時
席と席の間に風炉のお炭を直そうと思い
その場所から
お席が終わった後のお客様が
道具を拝見して退席されるタイミングを
見ていたのです

そして
久田宗匠がお手洗いから出てこられた時
ちょうどお家元の一行が
拝見をすませて退席される様子でした


その時偶然そこを通りかかった友人が

突然「撮ってあげる!」と言って
大胆にも宗匠と私にカメラを向けました


当然宗匠は急いでお家元のもとに
戻ろうとされていたのですが

なんとその場にぴたりと足をとめて
穏やかな笑顔で
「はいどうぞ」と仰って
カメラにおさまってくださいました


その後すぐに小走りで
お家元の方へ向かって行かれましたが・・

私にとっては
本当に思いがけない一瞬の出来事でした


その時の懐かしい写真を
久しぶりに出してみました

それをブログに載せていいものかどうか。。。
迷いましたが

どうか今回のこの御本との出会いに免じて
お許しいただいて
私の秘蔵の写真を
ご覧いただけましたら幸いに存知ます





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2020/4/17

「利休 わび茶の世界」濃茶の飲み回しについて  座右の書

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「利休 わび茶の世界」 久田宗也・著

先日城崎にでかけた折り
宿のロビーにあった本棚の中に
偶然この本を見つけました


私は今までこの本の存在を知りませんでした

出版されたのは今からちょうど30年前の
1990年でした


早速お借りして部屋に持ち込んでページを開くと
美しい写真とその深い内容にぐんぐん引き込まれ
一晩で一気に最後まで読んでしまいました


この本の中で
これまで何となく疑問に思っていたことの答えが
一つ見つかりました


それは濃茶の飲み回しのことです


私は台天目のお稽古をする度に
あの天目茶碗で濃茶を飲み回しすることが
なんだか不自然だなあといつも思っていました


利休や天下人の秀吉やその他のもののふ達が
あの小さく華奢な茶碗で濃茶を飲み回したとは
とても思えなかったのです


そのことについて記されていた箇所を
抜粋して書かせていただきます



「古くは唐物天目茶碗を使い、また高麗茶碗を使ったにしても
客の一人ずつに茶をたてていたらしい。

濃茶も薄茶もそうであった。

天正十年を過ぎる頃、利休の茶室は二畳敷の小さい座敷となった。

ここで少数の客に一碗から茶をすすらせることで客の親しみを増し、
心を一つにする効をねらったのが「すい茶」であり、
濃茶の飲み回しであった。

濃茶の飲み回しには茶の冷めない茶碗があるとよい。

ここに温かさを保つにふさわしい楽焼の茶碗が
利休によって考えられ、長次郎にてつくられた。


天正七、八年、利休六十歳の少し前に赤楽が、
天正十四年ごろには黒楽ができたといわれる。

すい茶が生まれてくるのもこのころとされる。」




ここを読んで
今までからまっていた糸が
するするっとほどけ
濃茶の飲み回しや樂茶碗の誕生についても
合点がいきました


この本は
検索したら既に絶版でしたが
アマゾンで中古を見つけて
早速注文しました


到着したらもう一度
じっくりと読みたいと思っています


私にとって
座右の書がまた一冊増えました


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2019/12/24

「陰翳礼讃」  座右の書

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「陰翳礼讃」
文:谷崎潤一郎
写真:大川裕弘


表紙の写真に目を惹かれて
思わず手に取りました


明治から昭和を生きた文豪・谷崎潤一郎と
現代の写真家・大川氏との
いわば時代を超えたコラボレーション作品です


写真の美しさは言わずもがなですが
何といっても
谷崎潤一郎の一言一句に
心底共感して
思わず笑みがこぼれるほどでした

例をあげればキリが無いですが
例えば・・

「諸君はそう云う座敷へ這入った時に、
その部屋にただようている光線が
普通の光線とは違うような、
それが特に有難味のある
重々しいもののような
気持がしたことはないだろうか。」


もしそこに「谷崎先生」が立っていたら
「先生!私わかりますっ!」と
駆け寄りたいような気分になりました


そして子供の頃夜中に
お便所に行きたくなって起きたとき
暗いお座敷を通るのがこわくて
走り抜けたことなど
思い出しました


「闇」「暗がり」に対する
一種独特の怖さ。。。



そうか・・・
とあらためて気づきました



実は
小間のお茶室ができたら
ご近所の方などにも
見学していただこうと思っていたのに

いざ玄庵が完成したら
お茶事の時以外には
なぜか他の誰にも
見られたくなくなってしまったのです


先日のお茶事でも
水屋をお手伝いいただいた
社中の方々の誰一人
一畳台目の中までは
入っていただいてないのです


なぜだろう。。。と思いました


ある社中の方が
「それは先生の『聖域』だからじゃ
ないですか?」と
言って下さいました


そうかもしれないと思いました


それは今あらためて思うと
「玄庵」の持つ「暗がり」と「翳り」に対する
畏怖の念かもしれません


そしてそこは確かに
私にとって
とても大切で清らかであるだけでなく

何となく畏れ多くて
たとえ他に誰もいなくても
一礼せずには通ることのできない
聖なる場所なのです


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玄庵 水屋  photo by Kaoru Kuwajima




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「『玄庵』へのキセキ 」

@
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2019/12/7

「心理学者の茶道発見」  座右の書
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「心理学者の茶道発見」岡本浩一 淡交社

第一線の心理学者であり
茶人でもある著者が
茶の湯を「癒し」「情動」「自他」「普遍」
「練達」「成熟」の6つの視点から解析
(本の帯より)



読み終えて表紙を閉じた瞬間
思わず
「あ〜面白かった!」という言葉が
口をついて出てきました

茶道にどっぷりとつかりながら
心理学の専門家の目で
茶道を見つめる視点に
素直に共感できる点や
あらためて気づかされる点が多々ありました


特に個人的に印象に残った箇所を
抜粋しまとめておこうと思います


ご興味を持たれた方は
是非本を買って読んでみてください


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

p13点前と癒し

点前は他の右脳の活動と競合する。
つまり、点前によって右脳を使い出すと
右脳は対人関係の不快感などの処理を打ち切って、
その処理容量を
点前の活動に明け渡さなければならなくなる。
これが、点前によって清涼的な心理効果が得られる
ひとつの理由だと考えられる。




p33侘びと主観的自由度

「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや」
という利休の愛誦が
さりげない言葉でドキリとするほどの主体性を
謳っているのに気づきたい。
現代心理学者が発見した「主観的自由度」を
名付けることなく体現している。




p33癒しを生む佗び茶の概念性

侘びという思想は、
現実に囚われすぎる心を一度概念の世界に遊ばせ、
現実と概念の差異を
むしろ知的に楽しもうとする姿勢であったように思われる。




p59キーワードは「88センチ」

小間の茶は、
膝と膝が50センチほども離れていない近さのために
主客とも緊張の極みで行われる茶なのである。




p59不完全の受容

不首尾があったときに、それを正視し、自己受容をするのも
茶の湯が与えてくれる貴重な訓練ではないだろうか。




p112惜別のさまざま

茶事の最後のこの黙礼は、ささやかな追礼でありながら、
意味の重い出来事に思われてならない。
茶事だけでなく、
人生全般の出会いと別離というものを知り尽くした知恵だと
深く感じるのである。




p121日本文化と型

型があるからこそ、演出の工夫が活き、
参会者の印象にも長く残る。
型が個性の発揮を促進している。




p146茶道と権威主義

権威の受容と権威主義の克服の両立した人格が
茶道の目指す人間像である。





p165茶道具と自己概念

たとえば、まだ茶室のない人が銅鑼を求めたとする。・・・(中略)
その銅鑼は
この購買者の茶の湯への意気込みを蔭で支え続けることだろう。

(実は私も広間をつくる前に炉縁を買い、
小間を建てる前に銅鑼を買いました!)



p201兄事の陰徳

兄事の間柄こそ、真の淡交、君子の交わりの典型である。
兄事の間柄には独特の快適さがある。
それは、陰徳の間柄ゆえの純粋さと気楽さである。



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