2012年5月27日 日曜日
日中にはピーカンの晴天、外では日影で丁度いい暑さでした。しかし、朝夕にはまだ寒い、あと2週間もすれば愛知県も梅雨入りとなるのでしょうか。日本の四季は新緑の木々の緑と落葉樹の紅葉、そして季節の花々、季節の変化は素晴らしいものです。他の国でも珍しい自然の豊かな国土があります。
わたしたちの先祖はその自然のなかに人間の生活を調和させる知恵を工夫して作り上げて来ました。それが文化です。地域の楽しみとしての田舎歌舞伎、豊作と豊穣を祈る祭り、そして地域のものを独自に加工して食べる食文化、言葉から生活習慣まで、さまざまな個性のある地域がありました。
〜〜毎日JP5月26日引用〜〜
http://mainichi.jp/select/news/20120526mog00m040007000c.html
北海道:集落の2割存続危機 将来「消滅」241カ所 2012年05月26日
北海道内の集落の2割近くに当たる710カ所が機能低下や維持困難に陥っていることが道の調査で分かった。うち、自治体が将来的に「消滅」と判断したのは241カ所に上り、10年度の国土交通省の調査と比べ39カ所も増えた。集落の危機が急速に進行していることを示しており、道は具体的対策を急いでいる。【円谷美晶】
◇最多の後志は117
調査は11年秋から今年3月まで、道内177市町村の3757カ所を対象に実施。報告書によると、人口100人未満は2019カ所、高齢化率50%以上は475カ所だった。
山林や農地など資源の維持と保全、冠婚葬祭、一次産業の相互扶助など集落機能の維持について自治体に尋ねたところ、「機能低下」が584カ所(全体の15.5%)、「機能維持困難」が126カ所(同3.4%)と判断された。
振興局別では、▽後志117カ所▽上川110カ所▽オホーツク92カ所で、この3管内だけで約45%を占めた。機能低下などとされた集落の割合でみると、▽胆振39.4%▽留萌39.1%▽後志34.7%−−の順。また、「いずれ消滅」が221カ所、「10年以内に消滅」が20カ所だった。
◇「買い物が困難」
道は調査後、特に対策が必要と考えられる集落289カ所を対象に、自治体や集落代表者にヒアリング調査を実施。集落の住民とも意見交換した。
買い物や通院の交通手段の問題に加え、▽除雪が困難▽地域の住民のコミュニケーション不足▽働く場、仕事がない−−など、住民生活にかかわる課題が多く指摘された。対策としては、交通手段確保や新規就農支援などの要望が上がった。
早期に有効な対策に取り組むため、道は昨年9月に有識者による「道集落対策促進会議」を設置。今月17日に開かれた第4回会議では、「求められる対策は地域ごとに異なる」として、▽既存の集落の維持存続▽冬期間の集住、集落再編などによる新たな集落作り−−の二つの方向性が打ち出された。
今秋までに最終報告書をまとめる予定で、石橋秀規・道地域振興監は「緊急かつ重要な問題だ。具体的な対策を打つ年にしたい」と話している。
〜〜引用終わり〜〜
足元では、こういう事態が進んでいます。つまり人間が生きて、そこに住み命の再生産ができず消滅していく地域が北海道で241か所ある、というのです。
確かに病気になっても医師がいない、介護サービスを利用したくても事業所がない、近所に店がないから買い物もできない、というのでは選択肢は自給自足しかありません。自給自足とはいえ、様々な現金が必要であることは当然です。消費税も固定資産税も大根では払えません。
この事態をイタリアの田舎・ローカルな市町村(コムーネ)と比較してみると、まったく異なる様相があります。
イタリアは就業場所は多くの場合自分の生まれた故郷です。都会にでて就職するという方も皆無ではありませんが多くはありません。そこで農業をしたり、漁業をしたり、建築や自動車修理工場を営んだり、あるいはバールという喫茶店兼街の社交場のような店を経営したり等々、地元に密着しています。
少し考えてみてください。世界を市場とするトヨタ自動車のような規模のイタリア企業の名前を思い出せる方はいらっしゃいますか。
イタリアファッションを除き、フィアットの自動車くらいしか思い出せないのではないでしょうか。大企業が日本や他のヨーロッパ諸国やもちろんアメリカと比較しても断然少ないのです。それはこれらの国よりも人々の生活のなかでの企業依存度が低いということにもなります。自分ならではの仕事を持っているとも言えます。
そして、地域ごとに採れるものが異なり、調理方法も異なる、地域で取れたものを地域で伝統的に作られた方法で調理をするスローフードが当然のようにあります。スローフード運動はイタリアから始まったものです。食だけではありません。特にシチリアやサルデーニャにいけば美しい民俗衣装に身を包んだ祭りや行事が行われます。
有名なベネツィアのカーニバルにかぶるという仮面もベネツィアの伝統的なカーニバルを祝う方法です。
こうして裕福ではないけれど何とか食べるだけは食べられる、というのがイタリアという国です。細々ながらコミュニティーが存在するのです。日本でも沖縄では「贅沢はできないけれど食うには困らない」という言い方をするといいます。野菜でも米でも取れたものを食べるだけならそんなに苦労はしなくていい、という意味です。そんな沖縄の田舎にはコミュニティーがあると思います。
コミュニティーは支え合いです。
戦後日本は事実として都会で不足しがちな労働力を地方都市からの集団就職で補ってきました。その結果地方都市の田舎では一次産業ですら成り立たないことになりました。当然他の産業も育ちません。
逆に都市部では地方都市からの人口の流入があるために(今では大学は地方大学より東京の大学のほうが就職に有利だ、という理由で大都市に出てきたまま帰らない学生も少なくありません。)地方都市と比較すると人口は今でも増加しています。
こうして日本では高度成長のための労働力不足を地方から大都市に移動させることで解消してきた結果地方都市の衰退がものすごい勢いで進んでいるのです。しかもその大都市でもコミュニティーは作られないままお互いに無関係に住んでいるのです。
わたし流の言い方をすればカネ優先の社会を目指した結果が地方都市・大都会のコミュニティーを崩壊させ、集落の消滅に至らせた原因です。一度失ったものを元に戻すには大変な時間と努力が必要です。
集落が消滅するのを見守るか、消滅しつつある集落を丸ごと移動させるか、とのことですが、丸ごと移動させたとしてもそこにはかつてのコミュニティーがあるわけではありません。まとめれば行政サービスを提供するのに都合がいいから、でしかありません。
日本国は一昨年から完全に出生者数 < 死亡者数のサイクルに入りました。これからどんどん消滅する集落が出現します。
わたしはイタリアのローカリズムに参考になるものがあると思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。

0