2012年11月29日 木曜日
最近なんでもカネカネカネと鳴くヤツが多くて不愉快です。駅トイレの掃除のおばちゃんや切符売り場の二ーチャンや料金所のオッサンに「ありがとう」と言えるかどうか、です。
電車に乗る、それはカネを払うけれども自分も歩いたりせずに目的地まで運んでもらうのだから便益を享受しているはず。それなのに多少の遅れがあったといって駅員に文句を言う、対応が悪いと殴りかかるヤツら。カネさえ払えば神様か、王様か、と問いたい。
名古屋から東京まで新幹線片道1万円、「自力で行くのは大変だ、カネを払うから連れてって」、1万円の価値はそこまで。文句を言うだけのカネは払っていない。運行約款のある乗り物ではなく新幹線丸ごと貸し切るのか自分で契約した移動手段なら文句を言っていい。
わたし自身はカネではない部分のある社会が理想だと思っています。人間関係はすべてカネの関係にしたらアカン、カネを介するだけの人間関係は歪(いびつ)です。
そこはお互い様というショックを和らげる人間関係がある社会のが理想だと思っています。
〜〜EXCITEニュース11月27日引用〜〜
http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20121127/Getnews_275266.html
さかもと未明女史が本当にわかってない重要なことについて 2012年11月27日 16時00分
今回はnorimさんのブログ『norim的ココロ』からご寄稿いただきました。
さかもと未明女史が本当にわかってない重要なことについて
「再生JALの心意気/さかもと未明(漫画家)」 2012年11月19日 『Yahoo!ニュース』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121119-00000002-voice-pol
すでに絶賛炎上中のこのネタだが、あらためて読み返してみて少し気になることがあった。この話、ちょっと別の観点で書いてみたいと思う。
まあ、これは炎上して当然である。飛行機で乗り合わせた子供の泣き声に耐えられず、着陸飛行中に席を立って(これは違法)飛行機会社にクレームをし、自慢げに文章にして雑誌に載せる(つまりお金にする)というのは残念にもほどがある。このページから見れるだけでも150件以上のネガティブコメントが寄せられているが、まああたりまえだろう。
しかしさかもと女史が本当にわかってないのは別の点にある。それはJALにクレームをしてJALから丁寧に色々と説明を受け、「空では航空会社がリーダーシップを!」などという意味不明の結論に達しているところである。では何がわかってないのか?
実は先日私もまったく同様の体験をした。場所は自宅近所のとある定食屋である。昼に買い物に出た私達夫婦と3才になる子供が昼ご飯にと訪れたのだが、運悪く子供がはしゃいで大声を出した。仕方がないので叱りつけると今度はさらに大きな声で騒ぎだした(ちなみにうちの子は声がでかい)。そのとき向かいの席に座って食事をしていた40代の男性から「うるさいですよ」と注意を受けた。「すいません」とあやまった私達だったが、子供はやめる様子を見せない。そうしているうちに今度はその男性は店員さんを呼び、うるさくて食事ができない、このような子供を入れた店の責任だ、ということを言い始めた。平謝りする店員さんを見て私はその男性に「我々が悪いので、私たちがあやまります。でも店の責任じゃないので、それはやめてください」と言った。しかし彼はやめようとしなかったので、しかたなく私達はちょうど運ばれてきた定食に手をつけることなく勘定をしてもらい、泣く子供をかかえて店を出た。最後に男性は私に向かって「被害者づらしてんじゃねえよ」と言った。
実は私が問題にしたいのはこの男性もさかもと女史もそれぞれ対象者だけでなく、サービスを提供する側にクレームしていることである。
自分はお金を払ったのだから、サービス提供者にクレームして当然、という感覚なのだろう。そしてそれはたぶん今の日本の状況を全く把握できていないことからくる間違った思い込みである。
私がこの体験の後で思ったのは、自分たちの行動はあやまるべきこと、公共の場で他人に不快な思いをさせたのであれば食事ができなかったことは仕方ない。息子はもう3才になるのでこれは親の躾の問題だ。なので私達は批判されてしかるべきである。でもたった500円でサービス提供側にまで責任を追求するのは、対価とサービスの関係に対するイメージが違うのかな?ということだ。普通に考えて500円定食を提供する店が高級レストランのような「小さいお子さん連れのお客様はお断りします」というモデルができるわけがない。さかもと女史の場合も本人は溜飲が下がっただろうが、JALにしてみれば彼女から得た利益はすべてこのクレーム対応で吹っ飛んだだろう。二人に共通するのは「サービスを受けることはタダではない」ということに対する理解があまりない点だ。
日本のサービス(レストランやショップ)のホスピタリティは世界一で、外国からのお客様はみな驚かれることが多いという。レストランなどでは確かに店員さんの態度はみなすばらしいし、水からおしぼりからケアが行き届いている。タクシーなんかは自動で空いたりするし、電車は時間どおりに到着する。日本人はそれを日本のおもてなしの心が成し得ていることで、日本なら当然受けられるものと思っているのかもしれないが、それは間違っている。すべては対価があってのことである。質の良い従業員を確保するにはそれなりのお金と教育が必要だし、アメニティもお金がかかる。それらはすべて価格に織り込まれていたのが、いままでの日本のモデルである。
そして日本はもはやこのモデルが維持できないくらい経済は逼迫しており、今後貧しくなるにつれてそれが顕著になるだろう、と思う。例えばいま牛丼は300円以下で食べられるが、そのため店は人件費削減のために深夜はどの店も調理1人、接客1人くらいで対応しているため、ちょっと店が立て込んでくるとすぐに接客が滞る。この間も「水が出てくるのが遅い!」と5分くらい店員にクレームしているDQNを見たが、正直「300円しか払ってないのに何言ってやがる」だ。すき家に至っては夜1人で廻してしまっていたため、頻繁に強盗に入られたのは有名は話だ。
モノが安くなるにはそれなりの理由があるのである。
おそらく今後同様のことが日本を襲ってくるだろう。「水はいつも清潔でタダ」「夜道を一人で歩いていても安全」「電車のダイヤは乱れない」「公共サービスはかならず受けられる」といった、「日本では常識」と思っていたことが実は裕福な国であったがための特権に過ぎず、今後それは徐々にだが確実に失われるという事実に直面するはずだ。国民の購買力が落ち、国が貧しくなる、というのはそういうことなのである。
さかもと女史がわかってないのはこのこと。新生JALに彼らが置かれている状況と全く逆の期待をし、大々的に雑誌なんかで書いちゃったこと。
たぶんJALもいい迷惑だと思っているに違いない。
執筆: この記事はnorimさんのブログ『norim的ココロ』からご寄稿いただきました。
〜〜引用終わり〜〜
さかもと未明氏なる人物を全く知らないので何が起きていたかすら知らずにいました。ヒコーキに乗ると運が悪ければ、子供連れの前に座るということも稀ではないかも知れません。
わたしよりさらにさかもと未明氏を知らない人に事実といわれることの概要を書いておきます。
さかもと未明氏が国内線に乗ったところ、「赤ちゃんが泣き叫び通しで、客室乗務員が母親と一緒にあやしても泣きやむ気配はなく、逃げ込む場所もない」という経験した。
母親もどうにもできなくてホトホト困っている、お客さんも「言い聞かせてなんとかなる年齢ではないし、仕方ない」と思っている様子。
しかし、さかもと未明氏は耐えられずに「もうやだ、降りる、飛び降りる!」」ということで、「着陸準備中の機内を、出口に向かって走り始め」たというのです。
さらに、機内でも、更に飛行機が羽田に着陸した後も航空会社に対して、「機内で泣くような幼児は飛行機に乗せるな、どうしても乗せるのであれば隔離できる空間を作れ」と、激しくクレームを言い続けたのだそうです。
以上、いくつかの記事を参考に管理人が編集したものです。
わたしも経験があります。ついこの間のフィンランドから名古屋までの10時間です。その煩さい(うるさい)こと、そして座席の背中部分に蹴りを入れているのかと思うような突然の衝撃、まあ耳栓をしていてもダメでした。そう、エコノミーではそんなことはザラにあります。
なので座席の確保をどうするか(?)に知恵と技が必要になります。航空会社も座席が空いていれば前方のやや広いスペースに子供連れを移動させたりします。なので長旅の場合には前方は予約の際にはできるだけ避けるようにしています。
また、背中にケリを入れられるのは安眠できないので後ろに座席のないシートを選びます。
できれば航空会社で子供連れの家族のためのスペースを作ってくれるとありがたいのですが、どの航空カ社もやっていません。
それがイヤならビジネスかファーストの予約を入れることです。いや、ビジネスやファーストで泣かれればそれはもっとイヤですが、多分それは客室乗務員が家族を邪魔にならないところに移動させるとか、なんらかの対応をするような気がします。
サービスを利用する、そこで他の客から被害を受ける、そこでサービスを提供するものにクレームをつける、一見理屈が通っているようですが、ブログ氏はおかしい、と言います。
なぜなら、責任のある本人は責められても仕方がない、しかし、サービス提供をするものは「そんな文句を言われるほどのカネをもらってない」からである、と。
法律的にいえば、サービス提供事業者に子供を黙らせたり、他の場所を提供したり、拒否したりしなければならない義務があるか、ということです。
義務は相手から見れば権利です。他の客はそのような権利があるのかと言い換えてもいい。ブログ氏は国内線の客にも、500円のメシ屋の客にもそんな権利はない、と言っているわけです。客が払うカネはそんな高いサービスを再生産できるほどの多額なカネではない、日本はそんな国になってしまっている、と言います。真っ当な感覚です。
そもそも「お客様は神様です」という言葉の意味を多くの日本人は間違って理解していないだろうか(?)
わたしの理解は、製品も商品もサービスも最終的に購入して下さるのはお客様、そのお客様が満足できないものを提供してはならない、だからお客様が自社の製品や商品やサービスについて何か言うときには、それを参考にしてよりよいものを作り上げなければいけない、それを教えてくれるのはお客様しかいない、だからお客様は神様なのです。
間違っているというのは、「カネを払う側は何を言っても許される、オレは神様である」、という理解です。カネを払うものが一番エライという不遜な客はいくらでもいます。おそらくこの日記をお読みいただいているアナタにも同意していただける、と思います。
できれば相手にしたくない、ウチはアンタに売るような品物は置いてないよ、さあ、帰った帰った、と追い返すことができたらどれだけスカッとするか、カネ払っているんだから文句を言って当然、そんな客が増えたように思います。
違いますね。便益を得ればカネを払うのは当たり前、それはフィフティー・フィフティーの関係、カネを払う方がエライわけではありません。払ったから文句を言う権利があるのではありません。
こういう風潮の客には堂々と帰ってもらいましょう、それが日本国と日本人の未来のためです。さかもと未明様、カネ持ちなんだからプライベートジェットでも購入したらどうでしょうか。そんな不愉快な経験をしなくてすみますよ。それができないなら、ハズレだったと諦めましょう。
まっ、有名人というのは自分がエライと勘違いする人も多いようで、しょうがないですけど、わたしはこの方の本は買いません。他に読む本いくらでもあるしね。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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