寒波のなか、今週は、映画「ALWAYS三丁目の夕日`64」と「聯合艦隊司令長官山本五十六」を見てきた。どちらも昭和を舞台にしたものだが、「山本五十六」は太平洋戦争、「三丁目」は戦後の復興期から高度成長期へと向かう時代である。
「三丁目」は、そういえば東京オリンピックのときには9歳で、白黒テレビで女子バレーボールの決勝戦を見たっけ、五輪よりもアニメを見たいとだだをこねたっけ、などと、自分の子供時代に重ねて見ていた。あの年、近所でカラーテレビを購入したのは1軒ぐらいだけで、わざわざカラー番組を見せてもらいに行ったものである。盛岡でカラーテレビが普及するのは昭和40年代なかばになってからだった。新聞のテレビ欄には、カラーで放送される番組の横に「カラー」と記されていた。
物語の展開は途中で読めるのだが、だからといって退屈なわけではない。今どき安心して見られる映画というのは少ないから、それだけで心が温かくなる。
「山本五十六」は、役所広司さんの演技が光る。映画は、海軍次官として米内光政海軍大臣、井上成美(しげよし)軍務局長とともに、日独伊三国同盟に反対したときから始まる。日米開戦に反対していながら、皮肉にも連合艦隊司令長官としてハワイ作戦(真珠湾奇襲攻撃)を敢行し、ミッドウェー海戦での惨敗を経て、最前線の将兵を鼓舞するためにラバウル基地から飛び立ち米軍機に撃墜されるまでを描く。
登場人物の説明が足りず、限られた時間内で駆け足で描いたためにそれぞれのエピソードも表面的にならざるを得ず、昭和史に詳しい人でなければわかりにくいだろう。盛岡出身の米内光政の登場するシーンがほとんどないのも、同郷人でとしては物足りない。が、役所さんの好演で全体を引き締めている。CGによる特撮は「三丁目」の方が上だが、それでも昔と比べたら雲泥の差であろう。
ぜひ、今度は米内光政にスポットをあてた映画を見たい。役者は(もう少し若いときであれば高倉健さん、今だったら)渡辺謙さんがいいと思うのだが、最近は盛岡の人でさえ米内光政を知らない人も多くなったので、映画化となると、ちょっと難しいかもしれないと思ったりもする。余談だが、山本五十六は若いときには、舘ひろしにちょっと似ている。
今週は珍しく、2度、岩手県立図書館に足を運んだ。保管庫にある雑誌「改造」(昭和11年11月号)のとある箇所をコピーしながら、「二・二六事件」があった年だなと思っていた。ちなみに米内光政は事件が勃発したとき、横須賀鎮守府司令長官をしており、12月には連合艦隊司令長官に就く。山本五十六は12月に海軍次官に就き、翌12年2月、林銑十郎内閣で米内が海相に抜擢されると、山本はそのまま次官として米内を補佐する。2人は第一次近衛文麿内閣、平沼騏一郎内閣でもコンビを組み、三国同盟に反対する。昭和15年には米内が総理大臣に就くのだが、このような経緯は映画では触れられていない。
昭和史を知りたい方は、ぜひ拙著『海軍一軍人の生涯―最後の海軍大臣米内光政』(光人社NF文庫)、映画では阿部寛が演じていた『山口多聞』(光人社)などを参考にしてもらえればと思います。