2006/7/27

貨幣経済  主張

 お金の存在が、時として人間関係を希薄にしているなあと、今日ふと考えました。

 人間社会は協力し合って生きていこうという場です。それぞれに役割があって、それぞれがそれを果たす事で、社会は機能します。だから大工でもない人が家に住めるし、農業をしていない人が野菜やお米を食べられます。
 今の人間社会は複雑になって、役割もより細分化されるようになりました。お金の誕生によって、物やサービスはより効率的に流通するようになりました。物々交換で手に入れていた物が、お金で手に入るのですから、これは便利です。

 しかし物々交換の時代と比べて、今の貨幣経済の時代では、他人の有り難味が感じ難くなっているのではないかと思います。勿論私はお金のない時代で暮らした経験はないので、推測でしかありません。けれど「うちで採れた野菜だよ。お前さんの作ったその着物と交換しないかい?」とやっている時代と比較したら、貨幣経済は何とも味気ないと想像してしまいます。
 自分の労働はまずはお金に変わるので、働く方もつい「お金のために働いている」と感じてしまうのではないでしょうか。そしてその労働の恩恵を受ける側も、「相手はお金のために働いているのだから」という意識が働き、感謝する気持ちが薄れていってはいないでしょうか?

 お金はエネルギーです。お金には絶えず、誰かが何かを頑張ったエネルギーが込められています。お金を得るという私欲のために人間は働くのではなく、社会の中でその役割を果たした対価として、他人の労働というエネルギーを受け取る権利を獲得するのです。
 それぞれが役割を果たしている結果としてお金が流通するのですが、お金があまりに便利過ぎて、人間と人間との繋がりがボヤけてはいないだろうかと、ふとこう考えたのです。



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2006/7/9

今日はブラジルの方が、  日常

 治療院に患者さんとしていらっしゃいました。どのようにして肩を痛めたかを伝えるため、ブラジリアン柔術の実演をされました。相手役だった私は、いくつか技の形に付き合い、少し肘が痛くなりました。

 治療家をやっていると、色々とあるものです。



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2006/7/8

病気信仰  療法関連

 多くの時間を特定の場所や空間、限られた人達と過ごしていると、次第に常識が世間とかけ離れていってしまう事があります。それは治療師も同様です。特に気功治療師は世間での常識と大きくかけ離れた所に位置しますので、そのズレ方は必然的に大きくなります。
 そのズレた感性?から見ると、社会で起こっている事の真相が逆に見える場合があります。今日の発見に「病気信仰」の存在がありました。これを発見した時に、私は少しソラ寒くなりました。

 病院に行って何か病名を診断されると、ほぼ必ず何らかの薬が処方されます。これが何を意味しているかと言うと、「病気は自分の身体では治せない」という潜在的なメッセージとなっているのです。医者は決して「薬を飲まなくても治ります」とは言いません。
 その体験や情報の積み重ねが、病気は自分自身で治すものではなく、薬や治療に頼って治すものだという意識を深めていくのです。これを私は、「病気信仰」と名づけました。信仰を確認できない物を信じる事と位置づけるなら、「病気は自分自身の力だけでは治せない」と信じて疑わない姿は、病気信仰そのものです。

 結果何か病気とさえ判断されれば、すぐに薬に頼り、医者に通う人達が中心となる世の中になってしまっています。



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2006/7/2

環境問題、必要なのは配慮ではなく……  主張

 私はよく言われる「地球に優しい」という言葉が、何となく嫌いでした。偽善的だと感じるのと、また微妙に違う感覚でした。このような微妙な違和感のまま、それ程気にするでもなく、何年も経過していきました。
 そして昨日ふと、「環境汚染は自然に配慮しないのが問題なのではなく、自然に「遠慮」しないのが問題」という言葉が耳に入りました。弟が会話の中で、思いつきや閃きで発したものでした。私はこの何気ない一言に大きな衝撃を受けたのです。

 配慮とは気を配る事です。環境に気を配る姿勢は、確かに間違いありません。その意識が「地球に優しい」というフレーズに繋がっています。しかしそこには、自然環境を人間のコントロール下に置こうという傲慢さが混ざってはいないでしょうか。
 人間は自然に包まれて生きています。人間のために自然があるわけではありませんし、自然のために人間があるわけではありません。本来人間と自然との境界線は曖昧で、自然の一部として人間もまた存在しています。またその自然環境は、他の生命が生きる場でもあるのです。そのような自然環境に対して、私達人間が持つべき感覚は配慮ではなく、「遠慮」という控えめな姿勢である。ここに自然環境問題の、根本的な問題が集約されているような気がします。



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