2007/8/25

我の強い昔の自分  気功関連

 私は元々、とても我の強い人間でした。気功師としてそれが、かなり足かせになっていた時期があります。今にして思うと、自分の力で何か結果を出したいという気持ちが強過ぎました。結果として良くなるのでは物足りなく、もっと「自分がやった!」という実感が欲しかったのです。大袈裟に言えば、光輝くような栄光が欲しかったんです。力でそれを成し遂げたならば、そこに栄光を感じられます。
 無為無我の境地では、治そうという意識はありません。ですから幾ら結果が出ても「自分がやった!」という実感は持ち難いんです。つまり栄光を感じ難いんですね。

 いつからでしょうか、この「自分がやった!」が欲しくなくなったのは。何が切っ掛けになったのかも、よく覚えていません。
 一義流気功の理念は、「一つの良い事を発信し続けよう」です。気功治療もその他の活動も含めて、正のエネルギーの源流であり続け、自分の手から離れたエネルギーは自由に解き放ちます。実はこの意識が、治療効果の深さを生み出します。
 ですから一義流気功を立ち上げる段階では、もう「自分がやった!」には興味がなくなってきていて、世界の中で自分がどうあるべきか? どう関わって影響を与えていくべきか? どう役割を果たしていくべきか? といった意識が強くなっていたのは確かです。

 治療師という者の性で、これはもう誰でも絶対に治したいんです。自分の栄光のためでも、患者さんを思う気持ちでも、お金のためでも、とにかく結果が欲しい。治したい意識から逃れるのは、言うは易し、行うは難しです。
 この「治したい」も、実はエネルギーです。施術中に願えば願うほど、このエネルギーは強くなります。ところが治したいという気持ちが強ければ強いほど、良くなるわけではありません。気の療法の世界では、それさえも不純物として、質が下がる要素になります。

 病気は敵ではないのだし、症状には意味があります。必ずしも、素直に治りたがっているわけではありません。あるべき姿に近づく、行くべき方向に進む、これが広い意味での治療になります。決して単純に「治す」が目的では、決してありません。潜在意識との協調関係がなければ、気功治療は底の浅い限定された効果に留まってしまうんです。治そうとする治療師の意識は、結果として障害になります。

 自分は治す事を決定する立場にはない。

 この事に気付くのに、少し時間がかかった気がしています。結局結果として本当の意味で治るのは、病気や症状に意味がなくなった時です。結果は任せて、ただ自分は一つの源流であり続ける。万能の神ではない自分は、そうあるべきだと思っています。

 そして結果を追わないこの姿勢でいる事が、私を気功師として成長させていき、伸び代も大きく取られています。その事で、逆に治るという結果が出るのですから、面白いものです。でもやっぱり良い結果が出ると、素直に嬉しいんですよ。人間ですからね。



一義流気功 心と身体、生き方の総合気療
http://www.ichigiryu.com/

一義流気功教室 普通の人が出来る外気功術
http://www.healing-t.com/

一義流筋力補正法 オリンピックから草野球まで、運動能力の強化
http://www.kin-hosei.com/

人気ブログランキングへにほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村ブログランキング【くつろぐ】
11
タグ: 治療師 気功師

2007/8/18

先入観 と 治療効果  気功関連

 昨日、患者さんの話です。

 治療するポイントとして、右足のふくらはぎの筋肉が指定されました。患者さん本人は何も自覚症状がないのですが、潜在意識からは、そこに施術して欲しいと要望が出ています。

 筋肉に対して施術する際には、経験上、緊張を緩めて気の流れをより良く確保する目的である事が多いのです。ですからつい自分も、施術の際にその先入観を持ってしまいました。
 するとどうでしょう? 手を当てて施術をしていても、今ひとつ、感触としてしっくり来ません。ここで気付きました。「筋肉を緩める事自体が目的では、決してない」と。

 そこで意識をより自由に解放しました。一切の先入観を捨て、無為無我に入ります。それまで取れ難かった緊張も一気に緩み、身体もより満足した気の反応をくれます。少しだけ、遠回りをしてしまいました。
 今回の事は、筋肉の緊張を緩める以外に、何が目的であったかは判りません。改めて問えば判明もしますが、それを逐一行う意味もありません。そこから精神的な部分に及んでいたのかもしれませんし、霊性に及んでいたのかもしれません。

 いえ一切の先入観が邪魔である事は、元々知っています。けれども経験を積む内に、多く出るケースに印象が偏り、自然と先入観が発生してしまっていたのです。経絡やチャクラ、内臓、自律神経というポイントであれば、このような先入観は一切持ち得ません。枝葉のイメージが強い筋肉に対してだからこそ、逆に落とし穴があったのでしょう。
 何事も決め付けない…… 改めて基本に立ち返る機会を与えられました。

 実質的な損害は、気付くまでの2・3分間、この時間だけです。けれども多くの学びを、改めて与えてくれました。またこの初歩的なミスに、羞恥心を覚えます。本当は明かすのは恥ずかしいのですが、自戒の意味も込めて、広く公開する事にしました。

 先入観もエネルギーです。身体が行きたがっている方向性と先入観が異なれば、先入観は治療効果の妨げになります。最善のエネルギーの流れを、阻害してしまいます。



一義流気功 心と身体、生き方の総合気療
http://www.ichigiryu.com/

一義流気功教室 普通の人が出来る外気功術
http://www.healing-t.com/

一義流筋力補正法 オリンピックから草野球まで、運動能力の強化
http://www.kin-hosei.com/

人気ブログランキングへにほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村ブログランキング【くつろぐ】
5

2007/8/16

劣等感の大切さ  主張

 今ふと考えているのが、マイナスイメージの感情の大切さです。そこで更に「劣等感」に絞ってみます。

 どのような感情でも、それは人間が持つ本来のものであって、必ず必要な要素だと、自分は考えています。例えば憎悪や嫉妬、劣等感といったものも、決して自身から排除すべき対象ではないと捉えています。
 勿論そういった感情が強くなり過ぎてしまうと、本人にも周囲にも困った結果になります。排除しようとする行為は、逆にそれらの暴走を許す温床となります。

 その中で劣等感についてですが、これ程、その人にとって原動力になってくれる感情は、他にあまり見当たりません。劣等感は辛い感情です。だからこそ、そこから抜け出すために、人間は必死になって頑張る事が出来ます。
 劣等感があるから、そこを頑張る。むしろその部分は捨ててしまい、長所を伸ばしてカバーしようとする。成功している人の半生に触れてみても、大きな劣等感をバネにしている事が多いような気がします。

 他人と比べずに、その人だけの価値を見よう。こういった考え方が、ここ数年でかなり浸透して来たと感じています。「世界に一つだけの花」は、こんな背景の中、大ヒットしたのだと思えます。
 確かに絶対評価は必要な考え方だと思います。他人と比べ過ぎてしまうのも、如何にも窮屈です。けれどもだからといって、相対評価を捨ててしまって良いのでしょうか?
 学校の成績表でも絶対評価が採用され、その人なりにどう伸びたか? どれ位頑張ったかが記されています。そして相対的にどの位置に学力があるかについては、判らないと言います。相対評価は、その中では存在しません。
 他人と自分との差や違い、ここをボヤかす教育や社会的な風潮は、本当に良いものなのでしょうか。他人に目を向けずに、果たして自分を知る事が出来るのでしょうか。いえ僕は、逆に他人と比べて劣っている部分がある、優れている部分があると明確に認識させる事で、自分自身をより正確に把握できるのではないかと思います。自分だけを見ていては、正しい自分の姿は把握できないのです。

 僕にはこういった風潮の変化は、他人と比較して劣等感を持たせないようにしようという動きに見えます。劣等感の表面的な辛さを絶対悪に仕立てて、排除しようとしているように感じてしまいます。
 運動会でも、徒競走で着順に優劣を付けずに、皆で手を繋いで一緒にゴールするというやり方があります。最初聞いた時には都市伝説かと思いましたが、実際にやっている所があるようです。理由は、負ける子が傷つくからだそうです。目眩がしてきそうです。
 良いんじゃないですかね。大いに傷ついて劣等感に苦しんでもらえれば。それをバネにして、頑張る方向に導いてあげるのが、社会の役割です。甘やかせば良いってものではありません。僕も元々運動は苦手で、体育の時間はかっこ悪い自分を表現してしまう場でしたから、憂鬱な部分もありました。けれどその時の劣等感は、むしろ体験できて良かったと感じています。
 世界に一つだけの花を綺麗に咲かせるのは、素敵な事です。けれど若い内には、他人と自分とをどんどん比べて、劣等感に苦しんだり、優越感を持ったり、妬んだり羨ましがったりしながら、周りよりも綺麗な花に咲かせようと頑張るべきだと思います。そして咲いている花をよく見ると、世界に一つだけの綺麗な姿だった。これで良いのではないでしょうか。
 他人と比べずに自分だけの世界で頑張っていても、大して能力が伸びていくとは思えません。そこに他人という目標があるから、頑張れるのです。劣等感から抜け出そうという必死さがあるから、真剣になれます。何のストレスもない環境で、元気にすくすくと伸びていくと思ったら大間違いです。ストレスをバネにするからこそ、能力や人間性はより高く成長できるのです。

 大切なのは、劣等感に押し潰されてしまわない事です。それを糧に出来るタフさと前向きさです。こんな風に思います。辛いという事が、劣等感の良いところです。



一義流気功 心と身体、生き方の総合気療
http://www.ichigiryu.com/

一義流気功教室 普通の人が出来る外気功術
http://www.healing-t.com/

一義流筋力補正法 オリンピックから草野球まで、運動能力の強化
http://www.kin-hosei.com/

人気ブログランキングへにほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村ブログランキング【くつろぐ】
13

2007/8/5

妹の 今日の一言  主張



 何事も、深く考え過ぎない事が大事


 客観的な事実は、ただそこに存在するだけです。問題は人間の思考の末、誕生します。事実は単に事実であるという事実があるだけで、それ自体に意味はありません。評価する主観があって、初めて意味が生み出されます。

 マイナス思考の人は、深く考えると必ず悪い方向に沈んでいきます。思考の海に身を投じず、感じるままにシンプルに生きていくと、案外世界は明るいものです。

 お馬鹿な発言のようで、なかなかその実は哲学しています。(褒め過ぎかな?)



一義流気功 心と身体、生き方の総合気療
http://www.ichigiryu.com/

一義流気功教室 普通の人が出来る外気功術
http://www.healing-t.com/

一義流筋力補正法 オリンピックから草野球まで、運動能力の強化
http://www.kin-hosei.com/

人気ブログランキングへにほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村ブログランキング【くつろぐ】
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ