2008/7/23
他人を尊重しなければならない、理由 主張
他人を尊重しなければならない。
誰でも知っている、当り前の価値観だと思います。けれど何故、他人を尊重しなければならないのか、その理由までは深く考えた事がないかもしれません。
・他人の人格を認めるため。
・他人と友好的な関係を結ぶため。
・自分も尊重してもらうため。
目的としての理由は、こういった所だと思います。そしてその根底になる理由として、
・他人は理解できないから。
があります。誰もが自分自身の価値観を持っており、善悪について感覚的な基準があります。この善悪の感覚は、排他的なものです。自分と異なるものは、受け入れられません。つまり他人の感覚や感性、価値観の全ては理解できないよう、最初から人間は出来ているのです。
ですからそこに、善悪の基準の一つとして「他人を尊重する」という概念を取り入れます。善悪の感覚に対抗できるのは、同じく善悪の感覚だけです。この考え方の装置がないと、人間と人間は自分の価値観の優位さを争い、勝負のつかない勝負を続けてしまうかもしれません。
実は「他人を尊重する」という概念の内実は、受け入れたくない他人の価値観を目の当たりにし、尚且つその人を尊重するという、逆行した作業になります。認め易いものを尊重するのは、容易いのです。
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誰でも知っている、当り前の価値観だと思います。けれど何故、他人を尊重しなければならないのか、その理由までは深く考えた事がないかもしれません。
・他人の人格を認めるため。
・他人と友好的な関係を結ぶため。
・自分も尊重してもらうため。
目的としての理由は、こういった所だと思います。そしてその根底になる理由として、
・他人は理解できないから。
があります。誰もが自分自身の価値観を持っており、善悪について感覚的な基準があります。この善悪の感覚は、排他的なものです。自分と異なるものは、受け入れられません。つまり他人の感覚や感性、価値観の全ては理解できないよう、最初から人間は出来ているのです。
ですからそこに、善悪の基準の一つとして「他人を尊重する」という概念を取り入れます。善悪の感覚に対抗できるのは、同じく善悪の感覚だけです。この考え方の装置がないと、人間と人間は自分の価値観の優位さを争い、勝負のつかない勝負を続けてしまうかもしれません。
実は「他人を尊重する」という概念の内実は、受け入れたくない他人の価値観を目の当たりにし、尚且つその人を尊重するという、逆行した作業になります。認め易いものを尊重するのは、容易いのです。
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