2009/8/17

妬みについて  主張

 他人を妬むのは、良くない行為とされています。妬みという感情はどす黒く、陰鬱なイメージが強いものです。他人を妬んでいても、決して気持ち良くはありません。妬んでしまう自分に罪悪感を覚え、その感情を必死に抑え込もうとする人も、少なくはありません。

 しかしこの妬みの正体は、一体、何なのでしょうか? 僕はそれを「向上心」ではないかと考えています。正確には向上心を刺激する装置として、妬みという感情が芽生えるのだと思います。
 他人を妬むというのは、決して、異常な心の反応ではありません。幼児の頃から自然と湧き出る、誰もが持つ感情の1つです。それが否定されるべき、意味のない感情なのでしょうか。いえむしろ、何か意味があって、その人をより良く導くための一部だと考えた方が自然ではないかと思います。

 ですから妬んでしまう自分を否定していても、何も始まりません。何かを頑張る原動力に活かしてこそ、他人を妬んだ甲斐があるというものです。
 その頑張りは、妬んだポイントとは違っても良いのです。背の小さい男性が、背の高い男性を妬んだところで、身長が伸びてくれるわけではありません。才能も突然、芽生えるものではありません。人には個性があるので、その人と同じにはなれません。自分が伸びる所で、伸びていけば良いのです。そして人間の心というものは、それで納得してくれるように出来ています。ただ心に硬直が強いと、それに気づかず、何時までも妬みの苦しさから脱出できない場合もあります。

 妬みという感情は、例えば「他人を妬んではいけない」という風に、その存在自体を否定されると、暴れる傾向があります。存在を認めてもらおうと、膨れ上がっていきます。膨れ上がった怪物のようにも思える妬みも、素直に認めてしまえば、何という事はありません。案外と元々は小さいものかもしれません。
 妬みが膨れ上がっていく理由には、もう1つあります。本人が何も頑張らず、向上していかない時です。妬みは本人の頑張りを促す刺激なので、頑張らずにいると、その刺激を強くして訴えかけてきます。

 妬みという感情の表面的な醜さに焦点が当たり、その本質的な意味から離れ、妬み自体を否定していまう。これでは心は成熟しません。

 自分は他人を妬む人間である。これを素直に認めると、多くの物が手に入ります。そして向上心の赴くまま、何かを頑張っていく事です。そして向上した自分を自分自身がある程度、認められるようになった時に、その妬みという感情が随分と薄くなっていると気付きます。
 本人が充分に頑張って目的を達成したので、強く妬んでいる必要性がなくなったからです。そして妬みとセットになっているケースの多い、コンプレックスも小さくなっているでしょう。



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タグ: 妬み 嫉妬 嫉み



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