2009/12/25

本を書いてみて  

 今、本を出版するために原稿を書いています。それが忙しくて、ブログが疎かになりつつあり、申し訳ありません。

 ホームページに掲載する原稿を書くのは、慣れたものです。けれど本にする物となると、かなり違いがあります。ホームページの方は、テーマ毎に文章を簡潔にまとめます。派生して他のテーマが分かれれば、そこは別のページにします。けれど本の方は、一度の長文が許されるので、派生する他のテーマを盛り込んで膨らませる事が出来ます。この作業が、実に楽しいです。原稿自体は、一月中に書き終えるのを目標にしています。



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2009/12/4

自分がされて嫌な事を他人にしてはいけない +  主張

【自分がされて嫌な事を、他人にしてはいけない】

 この行動指針のフレーズは、昔からある馴染み深いものです。人の感覚はそれぞれなので、これさえ守れば他人に不快感を与えなくて済むとまでは及びませんが、それを差し引いても優れたものです。
 しかしこのフレーズには、付くべき続きがあります。

【自分がされて嬉しい事を、どんどん、他人にもしてあげましょう】

「してはいけない」は禁止の言葉です。「してあげましょう」は促す言葉です。禁止だけでは、迷惑さえかけなければ良いという意味に留まります。道徳的で優しさもありますが、保守的です。けれど良い行動を促すものには、積極性があります。上の禁止だけのフレーズなのか、下の促すフレーズが付くのかでは、大きく内容の質が変わります。

 僕は禁止だけのフレーズで語られる方を、より多く耳にしてきました。これでは、迷惑さえかけなければ自由だという意味になり、困っている人を放っておいても構わない内容になります。また特別に困っていなくても、他人をどんどん良くしてあげる事は、とても価値のある行動です。それがグループや人間社会全体の利益にもなります。
 勿論、他の行動指針で埋め合わせれば、それで良いのではないかという意見もあると思います。けれど、

・迷惑をかけない

事と、

・積極的に助ける

事とは、同じ線上に位置しています。他人にとって価値ある自分であるための、

【積極的−保守的−否定的】

のラインです。否定的なラインでは、他人の迷惑よりも自分の利益を優先します。同じ線上にあるものなら、別々に表現せずに、一緒に伝えた方が良いに決まっています。道徳とは保守的なラインで留まらず、積極的なラインで語られるべきだとも思います。如何でしょうか。


※「してはいけない」 を 「しないであげましょう」

 に変えると、もっと良いかと思います。問答無用の禁止は思考を停止させてしまいますが、促す言葉は、何故そうした方が良いのかを考えさせる呼び水になります。

 人間はロボットではないので、一つ一つ、思考の内容をインプットするような発想では、馴染みません。どんな道徳的な内容も、自主的に支持される過程があってこそ、本当の意味での心になるのではないかと思います。



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2009/12/2

学歴社会はこれで良いのか?  主張

 記憶力、暗記力の知性に対する割合は、10%程度です。どんなに膨大な知識量であっても、それを現実に役立てる事が出来なければ、意味がありません。記憶とは情報ですが、その情報も正しく整理されていなければ、役立てるのが困難になります。情報を役立てるノウハウもまた、情報の一つです。しかし複雑な現実社会では、ただ単に法則に頼って当て嵌めるような発想では対応し切れません。その時々での機転のようなものも要求されます。そして知性を発揮する際に、どんな状況かは解りません。常に平穏である事はなく、何らかの圧力やプレッシャー、その他の精神的な揺さぶりがあります。そんな時に判断を誤るようでは、現実では困ります。

 さて日本は学歴社会です。政治や行政、司法、民間の一流企業などは、多くの人材が高学歴者によって占められています。学歴は何によって得られるのでしょうか? その多くは、記憶力や暗記力です。勿論そこには、継続的な努力というものも含まれます。そこから得られる結論は、高学歴者は、記憶力や暗記力に優れ、継続して努力の出来る人間の集合であるという事です。
 この高学歴の集団に保証されるのは、一定の記憶力と暗記力です。継続して努力が出来るか否かは、モチベーション次第です。これは保証されません。

 日本を動かしていく大きな役割を担わせるシステムとしては、この学歴社会は、何とも頼りないものに思えます。継続的に努力が出来るとはいっても、仮に受験戦争が過酷だとしても、それは所詮は安穏とした安全地帯での話です。現実社会でのプレッシャーは、多くの人の生活、生き死にの問題までもが絡んできます。この事に責任をもって、知性を発揮できるか否かには、何のヒントにもなりません。もしこの人物が、自分の財産や地位といった欲だけで勉強に励んでいたなら、何か転機がなければ、おそらくは社会の中で大した価値は持たないでしょう。

 記憶力や暗記力ではエリートではないけれど、知恵を出す部分では優秀である。こうした人物は、高学歴にはなれません。けれど現実社会の中では、大きな潜在的価値があります。
 社会がより高度に機能するためには、人材を如何に適材適所に置く事が出来るのか。これが肝要です。学歴は人間の能力を適正には評価しません。

 また現状での学歴社会は、悪知恵が回る倫理感に乏しい人間をも、社会の上層部に送り出してしまいます。これは防ぎようがありません。日本の上層部が如何に腐敗しているかは、恐らく氷山の一角に過ぎない報道からも、容易に把握が出来ます。悪意のある人間は、決して社会に大きな影響を与える重要な位置には、就けてはいけません。けれどこれを防ぐ充分に有効な手段が、現段階では見つかりません。不必要な財団法人などの天下りで大量の給金を得る官僚組織の腐敗は、実質的には、税金の組織的な横領です。しかし法律上では違法ではないために、罰せられる事はありません。

 では能力の正しい評価と倫理の判断は、誰がどのように行い、適材適所を誰が判断するのか? この結論はあまりにハードルの高いものです。しかしその最初の段階として、学歴への評価の仕方を考え直す必要性が急務だと思っています。



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