2011/5/31
そこに心があるから 動物実験と肉食を考える 主張
「人に優しくしなさい」
「意地悪やいじめをしてはいけません」
親や教師の皆が、こう子どもに教育をします。
自分以外の人間にも心があります。人は自分の心だけではなく、他人の心も大切にしようとします。教えられなくても、泣いていたり落ち込んでいたり、苦しがっていれば、それを心配して何とか問題を解決しようと願うものです。
教育では、それを改めて、きちんと形にして教える訳です。
他人を大切にするのは、そこに喜んだり苦痛を感じたりする”心”があるからです。
心という観点からすれば、他の生命体にもあります。細菌や虫などがどんな心を持っているのかは想像し難いですが、犬や猫、牛、豚などの哺乳類であれば容易に想像できます。人間の子どものようなイメージです。
その心に苦痛を与える、命を奪うという行為を、多くの人が平気ではいられません。
命の教育という内容で、小学校で豚を皆で育て、それを最後には食べるという試みがありました。食べるか否かという問題も含めて、皆で話し合い、命を考えるというものです。そこでは結局、自分たちでは殺せず、業者に受け渡すという結果になりました。
子ども達の心には、明らかに苦悩がありました。
僕は自分の子ども達には、”心”を大切にするように教育するつもりです。
その心には、自分があって、他人がいます。人間以外の生き物の心も含みます。ですから相手が人間ではないからといって、その動物を好きに虐待したり、つまらない理由で苦しめて良い理由にはなりません。
その枠組みで、肉食と動物実験を考えます。
強い存在が弱い存在を支配し、それを利用するというのは合理的です。地球の支配者である人間が、他の生命を自分の都合で利用するのは当然です。他の生命体であっても、そうしています。
生きるためであれば、どんな”心”が相手に備わっていても、強い側の生存が優先されます。この場合には、「命」と「命」で釣り合っています。
またより強い身体になるためにという事であれば、「強い身体」と「命」との比較になります。意見が分かれ始めますが、ここは強者の特権で許されるとしましょう。
では次に、「おいしさを求める食道楽」と「命」とを比較すると、強者の特権にしても、さすがに傲慢も過ぎるのではないかと思われます。「レジャー、楽しみ」としての狩猟も、「命」との釣り合いは悪いのではないかと感じられます。
動物実験を考えると、より優れた医薬品を開発するためのものであれば、人間側の利益は「命」と「健康」です。
しかし世の中には訳の判らない動物実験もあって、ストレス耐性を調べるために、ひたすら子犬の足を砕ける程に叩き続けるというものが存在します。また眠らない事の健康被害を調べるために、猫を死ぬまで寝かさずに睡眠を邪魔し続けるというものがあります。
これらの実験によって得られるデータのメリットが、果たして苦痛を与え、命を奪う程のものなのかは、多くの人が疑問に感じるでしょう。
そもそも生きたまま足を砕かれ続けるような状況は、拷問以外では考えられません。また子犬と人間とは違うのですから、そのデータが人間にどれ程に適用できるかも疑問です。
眠らなければ健康に悪いのは当たり前で、それをわざわざ衰弱死するまで猫で試し続ける価値が、いったいどこにあるのでしょうか。
相手が動物だから、社会的にはさほど問題にはなりません。しかし想像を絶する苦痛は、確かにそこに存在しています。
どんな価値と比較して、どれくらい命を奪うのか、どの程度の苦痛を与えるのか。全ては強者である人間が自由な裁量で決める事です。
この辺りのバランス感覚は人それぞれです。仮に「どんな些細な利益、例えそれが気まぐれ程度のものでも、強者は無制限に弱者に苦痛を与えても構わない」と考える人があっても、それはそれで間違いではありません。
個人的には、決して同意も尊重もできません。ですが感覚や価値観は、何かを正しいとか間違っているとか定める側です。それ自体に誤りはありません。
食肉に関して、こんな話があります。とある本に掲載されていたエピソードです。
年を取って生産性が落ちてきた乳牛か、繁殖用のメス牛か、そこは記憶が定かではないのですが、この牛を食肉用に回そうとした時の事です。
食肉業者が来て、トラックに乗せようとしても、必死に抵抗して暴れて乗ろうとしません。仕方がないので、少し時間を置いて様子を見る事にしました。するとその牛は、自分の子どもにお乳をたっぷりと飲ませると、自分から進んでトラックに乗ったそうです。
殺されると知っていたかは、人間の側にはわかりません。けれど食肉業者の人は、この母牛を忘れられないそうです。
人間が健康に生きていく上では、全てが植物性の物で足ります。完全なベジタリアンの中には、オリンピックの陸上競技の金メダリストもいれば、トライアスロンのチャンピオンもいます。ボディービルダーもいます。
むしろ獣肉は負担が大きく、エネルギーの変換効率が悪くなります。様々な食品を自由に選べる状況では、わざわざ食べない方が健康には良いのです。
すると残されたメリットは、味の美味しさだけです。
実は僕が肉を全く食べないのは、健康を考えてではありません。
自分が感じる「美味しい」というメリットと、奪うものとの釣り合いが取れないと感じているからです。
けれどだからといって、肉を食べる人を否定はしません。感覚と価値観はそれぞれですから、それ自体は否定できません。僕自身、他の生命を頂いて生きている事実は、まったく同じです。そこに感覚で線引きをしているだけで、他の人のそれを僕が押し付けるのが変な話だという事を知っているからです。
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