葬式や形見分けなどがやたら多い今日この頃ですが、6月16日は大師匠・春風亭柳昇の命日。
早いもので今年でもう11年になる。
軍隊経験からか、とにかく若者には腹一杯食べさせるのが好きで、もりもり食べると相好を崩して「頼もしいねえ」と言っていた。
何が頼もしいのか先輩に聞いてみると、若者は有事の際に戦えるようによく食べておかないといけないとのこと。
そういえば「今度やる時はイタリアは仲間に入れない」とよく言っていた。
今度っていつだよ…!
とにかく戦争が好きだった(笑)
たまたま晩年の著書「寄席花伝書」を読んでいたのだが、発行当時はよく理解できなかった内容が、今となっては心に沁みた。
当時の自分がいかに浅はかだったかを悔いるとともに、少しは成長していた自分のさらなる奮起の種ともなった。
改めて大師匠に感謝。
(ちなみにこの本は校正がいいかげんでホント頭くる!著書と読者に失礼だ!手にとってみたいと思った方はそのおつもりで。)
そして、会うことのなかったもう一人の大師匠・八代目春風亭小柳枝。
鯉昇の最初の師匠だ。
鯉昇(当時、山下青年)が入門したその日、飲みに行くからついてこいと何件もハシゴした挙句寝てしまい、翌朝まで付き添っていた山下青年を見て言ったそうだ。
「お前誰だ?」
とにかく酒飲みの破滅型で、珍エピソードには事欠かない。
酔ってそのへんの花をむしゃむしゃ食べるとか、小円遊師匠に小便を飲ませたとか、それをまた自分も飲んだとか、トラ箱で浪曲をうなっていたのを偶然報道されたりとか…etc。
そして本当に破滅してしまった。
消息不明のまま没、訃報だけは鯉昇の耳に入り以来12年、孫弟子だけで3月に墓参り(兼酒盛り)をしていたのだが、今年はすっかり忘れていた。
そんな訳で今回は柳昇と八代目小柳枝の墓参りを皆でハシゴしました。
13日に行ったので、ゲリラ豪雨の合間を縫って三鷹の延命寺から小平霊園に移動して酒盛り。
いつも追悼酒盛りは3月頭で寒くてたまらず、常々他の季節にやりたいと思っていたが、この日は西日が厳しく暑かった。
うまくいかないものだ。

「紫陽花のひときわ光る梅雨の晴れ」 柳昇 辞世

「シラフじゃ花は食えねぇ…」 八代目小柳枝、素面時の泣き言

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