2022/1/1

御挨拶  

昨年はラブドライブで
チーム発足以来初優勝を記録することができました。
優秀なスタッフとメカニック、そして
素晴らしいチームメイトに助けられました。
井原総監督のもとで、運営をお手伝いさせていただきながら
アドバイザーとして結果を出さなければいけないプレッシャーで、長い時間願って過ごした努力が、叶えられた事が本当に嬉しかったです。
本当に勉強になった1年でした。

昨年は東京オリンピックが開催され
本当に感動しました。
一方で、日本人にとってはまだF1しかわからないかもしれないけど、日本人のトップドライバー達はそれ以上にすごいアスリート達だと思う。

実は可夢偉が走らなくなってから
F1は観なくなってしまっていたが
SRS-F(鈴鹿レーシングスクールフォーミュラ)
の1期生としては、後輩であり生徒でもあった
角田祐毅が出場し
今年は毎戦観るようになっている。
彼の年には笹原右京と大湯がいて、
僕も混じってセット走行
(レース形式)をしていたが、決まって争ってくるのはいつもその2人だった。

角田は年齢が若くまだ発展途上であったが、
中嶋さんの目にとまり、スカラシップを獲得しすることになったようだ。
FIA-F4に上がってからは特に中速コーナー(富士の100R)で際立つ走りをしていたことを覚えている。
僕も19歳でフォーミュラニッポンには乗ったが、年齢的には早すぎて、
当時特にテストが制限されほとんど(というか全く)走らないまま、
毎戦土日のレースだけが行われると言う
1997年はほんとに走る時間の少ない残念な1年(自分の中では無駄に過ごした)だった。
それだったらヨーロッパF3に行って死ぬほど走るか、国内F3でチャンピオンをとってからにして上がったほうがどれだけもよかったはずだ。

角田が今20歳でF1で活躍出来る状況があるのにはホンダのサポートや、若い年齢で活躍できる練習環境が素晴らしく整えられているからだ。
自分の努力次第で成功がつかめるいい時代になって羨ましくもあります。

最終戦はライブで見ていたが、
これぞレースと言うような結末でした。
最後のセフティーカーはオーガナイザーのジャッジが結果を左右しいろんな意見があると思う。
1999年のフォーミュラニッポン最終戦、
僕は予選ポールポジションだったが、
黄旗中のベストラップと言うことで取り消しになった。
黄旗中でもそのままタイムが有効になったりこの年はレースによってバラバラでした。

僕がレースを始める前に
中嶋さんがまだ30代で、
F1と言うのは特別に政治的な世界で、
活き馬の目を刳り抜くような世界なのだと知った。と雑誌の記事で読んだことがあった。
子供ながらに強い印象を感じたので
良く覚えてる。

政治の力関係で、オーガナイザーや自分のチームが敵になってはいけない。
僕が国内のトップチームで1番ファミリーだったと感じたのは、
F1解説者の森脇基恭監督がいらっしゃったチームNOVAかもしれない。
森脇さんは、自分がグリーン車やビジネスクラスに乗るお金があればミッションのスペアパーツを買いたいと言って、メカニックと同じ車で往復し、ドライバーとしてメカニック全員の努力に答えなければならない、というプレッシャーを感じたのを覚えている。
本当にプロフェッショナルで、そしてファミリーな素晴らしいチームだった。
(F1だけがレースではないということもその時実感した)
アルファタウリはそれに似ているから若い角田がやりやすい雰囲気が伝わってくる。

角田は、既に多くのドライバー(の最高位)を超えてしまっているとは思うけども、
環境が良くなったら古い選手よりも結果が出るのは"ある意味当たり前"なのだから、
もっともっと結果が出ても驚かない。
政治がどうであれ
結果が全てであるレースの世界においても、
最終戦で今年チャンピオンになったMAXフェルスタッペンには感動しましたね。
お母さんはソフィー・マリー・
クンペンで、CRGワークスの有名な女性カートドライバーだった。
僕がヨーロッパ選手権に出ていたとき
一緒に走ったこともあったから時代を感じる。

国内トップも、F1も、地上波でやらなくなってしまったけど、レベルの高い争い(面白さ)は、今昔変わらずに凄いですね。
僕が20歳でGTデビューしたとき、
現役で同じレースに出ていらっしゃった
星野一義さんや長谷見昌弘さんや鈴木利男さん
を見れば、
(亜久里さんや右京さんや関谷さんは勿論だが) 何年後に僕がGTに出場してもおかしくないね。偉大な先輩方との特別な経験を糧に続けたい。

昨年は他にもいろんなことがありました。

カート界、日本一のエンジンチューナー
岡田さんが亡くなってしまった。
僕が世界選手権に出ていた頃は世界的に(日本でも)ロータックスが支流で
空冷のフィンの形状などからチューニングがしやすいエンジンとされていました。
僕が使用していたイタルシステムは対等に戦うのが難しくていたのだが、ただ岡田さんのエンジンだけは例外で充分通用していた。
岡田さんは
当時岡田モーターエンジニアリング(OME)
の代表であり、
後にサントレードと合併しサントムと言う名前になったことでも記憶にある人もいるかもしれません。
そしてさらにモンディアルと言う社名に変更したようでした。
モンディアルはイタルシステムのモデルの1つで、僕が世界選手権で使用したエンジンで、
ヨーロッパの名だたるエンジンチューナーたちが満を持して持ってきたエンジンに岡田さんのエンジンで表彰台に上がった。
(MERLIN/ITALSISTEM/VEGA)

実は僕もそれを会社名にしているのですが
一生忘れられない思い出を残したかったから。

1995年、師匠の野田さん(GEMINIカート)に勧められて入った芦屋の高校が、(10年後カムイの母校でもある)
震災の影響で建物が壊れてしまい1ヶ月休校したことがあった。
その時野田さんの導きで岡田さん宅に1ヶ月住んでいたことがあります。
その1ヵ月は朝から晩までただただエンジンのスラッジや油を洗う作業だけをしていました。
1ヶ月の1番最後の日にお寿司を頼んでくれて、
僕の名前を下の名前で呼んでくれたのが恥ずかしくて息子のように話してくださったのが嬉しくて。
本当にお世話になりました。
岡田さん本当にありがとうございました。

長くなってしまいましたが、
皆様2021年はありがとうございました。
感謝を御挨拶と代えさせていただきます。
2022からもどうぞよろしくお願い申し上げます。

元旦 山西康司





2022/1/1

あけましておめでとうございます!  

2022年

あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願い申し上げます



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