「葵祭」の日程の公表もした所で、「八日市場東照宮」のご由来などを…。
慶長19年(1614)、徳川家康が九十九里地方で鷹狩りをした時、愛鷹が行方不明になりました。その話を聞いた八日市場の医王寺の僧侶がご祈祷をあげたところ、この鷹が同寺境内の松にとまり、無事に家康公のもとへ戻りました。
この松は「御鷹松(おたかまつ)」と呼ばれるようになりました。
寛永9年(1632)、医王寺が真言宗から天台宗に改宗した折、この話を聞いた天海僧正から「南無東照宮三所大権現 探題僧正天海」との書が医王寺に与えられました。そこでお宮を造り、この書をご神体としてお祀りしたのが「東照大権現」の始まりです。
その後、江戸時代は医王寺が管理し、領主稲垣氏は三石を寄付し厚く保護しました。
明治2年に東照宮と改称、平成3年八日市場市(当時)都市計画の道路延伸に伴い現在地に遷宮、平成4年に「八日市場東照宮」となりました。
平成7年、伊藤宮司(当時)のご尽力により、日光東照宮へ社参。境内において神輿渡御の奉納という栄誉に授かりました。
神輿には「三葉葵」はもちろん、日光東照宮に因んだ「眠り猫」や「三猿」の彫刻が施してあります。

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