12月のテーマ「喜びに溢れて」
学者達はその星を見て喜びに溢れた。マタイによる福音書2章10節
森の風を始める時に最も中心にあった思いは
「子ども達に希望を残したい」でした。
子ども達が親になったときに、
少なくとも今の自然環境がそのまま残っていること、
そして、子ども達の身体に希望が刻み込まれていることの二つ
の希望のことを思っていました。体(手足)を使ってぐん
ぐん遊ぶこと、自然の中に自分を投げ出して遊ぶこと。
遊び方を教えてもらって遊ぶのではなく、
やってみて感じて、工夫して、仲間と楽しみ慈しみ・・・
身体に刻み込まれた「生きていく力」は将来の幸せを生きる元手となると思っていたからでした。
しかし、今、子ども達が見せてくれたことは、
予想を遥かに超えてしまいました。同時に私の保育観も人生観も、
信仰のあり方も塗り替えられました。私自身が真の希望に導かれています。
希望は初めから人の身体に刻み込まれていたのです
。
聖書の創世記に神様が人を「神の姿に創造された」と書かれています。
このことの意味が森の風を始めてから本当に理解が出来、
また常に理解は深められています。
神さまの愛の形として人(私)を創造され、幸せに生きるよう
「全地に生える種を持つ草と種を持つ実をつける木を全てあなた達に与えよう。それがあなた達の食べ物となる。」と全てのものを備えて下さっているのです。
これが希望です。
今月の聖書の言葉は「学者達はその星を見て喜びにあふれた」です。今朝、ひときわ明るい明けの明星が輝いていました。おそらくメソポタミヤ地方から、占星術の学者達が「星」を見て、新しい王の誕生を知り「星」に導かれて誕生したばかりのイエスに会いに来たという楽しい希望に満ちたクリスマスの出来事です。もう一組喜びに溢れた人達がいました。野原にいた羊飼い達です。天使に教えられイエスのいた馬小屋に導かれます。でも、このクリスマスの希望は身体に刻まれた希望とは違います。
私達の罪からの救い、死から命への希望です。「わたしがあなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい」と言われても、愛する事の分からない私達。「私があなたを愛したように」・・死ぬことによって私を愛して下さった救い主の誕生。希望です。