9月の募集前の最終説明会をしました。
だいたいこの時期に入園先を決めるというのは
お母さん達にとって酷なことだと以前から思っています。
もう少しゆっくりと我が子の始めて入る社会を決めたいというのが
お母さんたちの願いではなかろうか・・と思います。
ちなみに私がいた広島では10月が申し込みの始まるときでした。
11月でもいいはず。これは一方的に私立幼稚園の営業ペースです。
「森の風」は皆さんが決めてしまってからゆっくりと募集を始める・・・
というのはやはりできず、一応9月3日を目途に頑張ってみました。
4月に始まったばかりの幼児園に
たくさんの方が関心を寄せてくださることにまず感謝です。
私たちの生活に教育に今本当に必要なものは何か・・ということを
常に常に考えながら進んでいきたいですね。
目先のことにとらわれず、風評に流されず、自分の生き方を確かめながら・・。
今日実は話したいことがありました。
そのことには触れずに終わってしまったのですが、
先生達に「そりゃあ、先生、話さずに良かったわ」と言われました。
「それは入園してから、ゆっくりと話した方がいいわ」と。
でも私としてはやはり話したい・・・なんて思いがあり
ここに書いて見たいと思った次第です。
それは縄文時代のこと。
この夏に、10年来行ってみたかったところに一人行ってきました。
八ヶ岳にある自給自足の修道院です。
この修道院のこともたっぷり書きたいことがありますが
それはいずれの機会にして・・。
その八ヶ岳のふもとは縄文遺跡の宝庫なのです。
私達が教科書で習った縄文時代の認識はすでに変わっていて
今刻々と新しいことがわかってきています。
縄文時代が8000年から10000年続いていたこと
この時代からは武器が出てこないこと
世界最古の土器は縄文土器だということ
かなり高度な漆塗りの技術もあったこと
例えば三内丸山遺跡は200人くらいの人口で2000年続いていたということ
縄文土器の素晴らしい芸術性のこと
そんなことをうっすらと知っていたのですが
考古館でずらっと並んだ縄文土器を見て
圧倒されてしまったのです。
おおらかで美しく豊かな人格を感じる文様
4,50センチの大きな土器
それらは生活の道具だったのです。
先日、ジュニアのときに野焼きをしました。
土を焼く、土で作るということを自分でやってみていましたから
自分の技術も芸術性も生活能力もまるで貧弱だということがはっきりと解りました。
(もうひとついうと、平安時代にはもうあの土器を焼く能力はなくなっているのです。
弥生人の渡来によって何かが寸断されてしまったようですね)
2000年間に亘って
同じ生活様式、文化、宗教を次の世代に確実に伝えていたのです。
これって驚きではありませんか?
生活と労働と教育がひとつだったのです。
知っていることと解っていること、出きる事がひとつだったのです。
これが本当の生活ではありませんか?
教育とは自分で生活ができるように応援していくことです。
幼児の時代に本当にしなければならないこと
それはそのような「いのちの感覚」と「いのちの技」を
心と体に刻み込んでいくことではなかろうかと
縄文時代を思いながら考えるのです。
なぜなら幼児の遊びは生活であり労働であり学習だからです。
これをばらばらにしてはなりません。
は〜いこの次は体操の時間です。次は英語です・・。
などというのは学童期にすること。
人の発達には順序があります。
その順序を取り違えると
またそこに戻ってやり直さなければならなくなるのです。
幼児期はおおらかに自分を生かしてあげたいです。
おおらかに自分を表現し自分を受け入れ・・
人も自分も虫も動物も共に生かされている・・という感覚の中で
縄文人が武器を持たなかったように
平和に共存していける人が育っていくのではなかろうかと
念じているのです。
今必要を感じる方々が森の風に集まってくださり
「森の風」の必要も満たされていくことを祈っています。