子ども達はアニミズムの世界に住んでいます。
牛さんには「も〜」と挨拶し
やぎさんには「め〜」と挨拶ができます。
先日「森の風」の田んぼを作るべく笹刈りをお父さん達にお願いしました。
そのときに笹の中に何かの巣を大家さんが見つけました。
これは子ども達に見せてあげたらいいと
私に渡してくれました。
草で丸く作ってあって
入り口は丸く中に入ることができます。
直径15センチほどの小さな球形です。
私もそのまま先生たちに託し
出かけました。
帰ってみると、その巣が大切に箱にしまわれてあります。
「どうしたの?」と聞くと
「きっとこのお家にすんでいた動物が困っているってことになって
返してあげようと田んぼにもって行ったんですけれど
返す場所がわからなくて行き場がなくなってしまったんです・・・」
子ども達にとってそれは
自分達の一部なのですね。
何にでもいのちがあって自分達と同じように
気持ちを持っている、心がある・・という世界に住んでいるんですね。
何にでもいのちがあって・・という世界をアニミズムと呼びますが
「子ども達の持っているアニミズムの世界が世界を救う」という言葉を
時々思い出します。
日本人が持っている宗教意識はアニミズムでした。
大きな岩や樹、山などにも神秘的ないのちが宿っているとして
拝む対象になります。
神社の周りの樹は大切にされ鎮守の森になっています。
自然は自分が利用できる対象物ではなく
自分のいのちとどこかでつながっている大切なものという感覚
があったんですね。
今私はそのようなつながり感
アニミズム的な畏敬の感覚が世界に必要とされていると思えてなりません。
聖書の世界から言うと
「光あれ」といわれ世界を造り出された神が
「生めよ増えよ地に満ちよ」と祝福された世界を神さまの思いで慈しむこと。
そこに最も近い子ども達のまなざしに学びたいものです。